まず「神籠石(こうごいし)」とは何かについて。写真のような列石のある遺跡が九州北部においていくつか発見されていました。昔はこれが何だかよくわかっていなくて、石で聖域を囲んだ宗教的な遺跡ともいわれていました。後に列石が版築(何層にも土を付き固める工法)の土塁を伴うことが確認されて、城郭としての性質が強いことが示されています。実は諸説あるんですが、古代の山城の遺構と考えていいと思います。
写真の列石のようにきれいな切石が整然と並んだものなので、最近のもののように感じてしまうかもしれませんが、実は1300年以上も前のものです。何も知らないと地味な遺構と感じてしまうかもしれませんが、ものすごく昔に石の加工・運搬・設置が行われたことには驚かされます。
古代山城の遺構に特徴的な構造物に「水門」があります。石城山神籠石では東西南北の水門跡が確認されていて、西水門・北水門・東水門がそれぞれが状態良く残っています。写真は「東水門」ですが、「水門」という言葉から連想されるものとだいぶ違うものと感じるかもしれません。
古代山城においては谷筋を城壁で塞ぐときに排水口を伴う石垣を築くのですが、この谷筋一帯の構造物を「水門」と呼びます。写真左下部の小さな穴が排水口です。前述の列石と同様に古代の構造物とは思えないほどの立派な石垣ですね。水門は地形にあわせて造られるものなので、その形は様々。西水門では排水口は確認できませんが、三段構成になっている点がおもしろいです。北水門は長大で屈折した構成になってます。
石城山神籠石は石城山の山頂部をぐるっと城壁で囲んだ山城だったわけですが、城壁内に入るところには当然ながら門がありました。石城山神籠石では東門と北門が確認されていますが、山城の遺構として見応えがあるのは北門跡の方です。門周辺の列石、石垣、門の柱礎がよく残っています。写真の巨石は「沓石」といって門の柱礎として使われていた石です。ここでも古代の石加工の産物を見ることができます。60cm四方の方形の柱が使われていたようですね。
石城山の歴史は山城があった古代が全てではありません。古くから寺院があり、中世・近世を通して宗教施設のあったところでした。現存している建築として「石城(いわき)神社本殿」や「石城神社随神門(旧・神護寺山門)」があります。写真は石城神社本殿で、文明元 (1469)年建立の神社建築です。春日造りに似ているけど、前後方向に長い特異な建築様式になっています。石城神社本殿は重要文化財の指定を受ける文化財としての価値が高いものなので、外観だけでもぜひ見学して行って下さい。
石城山神籠石は公共交通機関では不便なので、自家用車かレンタカーでのアクセスが便利です。山頂近くに駐車場が整備されています。登り口から駐車場までの道はきちんと舗装はされていますが狭い道なので、レンタカーの場合で運転に自信のない方は軽自動車にした方がいいかもしれません。めぼしい遺構があるのは遺跡の北半分で、遊歩道をぐるっと歩くだけでだいたいの遺構が見られるようになっています。ぐるっとまわるのにかかる時間は1時間半から2時間程度。下のリンクの光市公式ウェブサイトがから案内図のpdfファイルが入手できるので、参考にして下さい。
この記事の関連MEMO
- PR -
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/9/18更新)
- 広告 -