国内最大級の山城・群馬県「金山城」関東では珍しい石垣の山城

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国内最大級の山城・群馬県「金山城」関東では珍しい石垣の山城

国内最大級の山城・群馬県「金山城」関東では珍しい石垣の山城

更新日:2015/12/04 12:44

大木 幹郎のプロフィール写真 大木 幹郎 巨木マニア、低山登山家、ブロガー

群馬県の南東部に位置する太田市には、国内最大級の山城で国指定史跡の「金山城」があります。今はハイキングコースとしても整備されている里山の頂上には、関東では珍しい石垣の土塁・堀・曲輪で構成された山城の遺構が復元されています。見事な石垣の城跡の見学に、軽いハイキングで足慣らしに、関東平野の展望に、金山城へのお出かけは如何でしょうか。

金山城の見どころ「物見台下虎口」

金山城の見どころ「物見台下虎口」

写真:大木 幹郎

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金山城は戦国時代に築かれた山城で、太田市の市街中心部の北に位置する金山(標高239m)のほぼ全域に築かれていました。最盛期は、東西約3km、南北約4kmもの広さで、尾根伝いに城郭が続いていました。金山城の特徴は、随所に残る復元された石垣です。関東では珍しい石垣を多用した城で、曲輪の壁や土塁が石垣で組まれ、通路は石敷きになっています。

金山城の見どころの1つ「物見台下虎口」です。周囲を監視する物見台や兵の詰め所のあった曲輪の虎口で、通路を挟む大きな石垣は、攻防の砦となったそうです。虎口の手前は、岩盤を切削した掘切で、写真の左側に見えるのが削られた尾根の岩盤と、その上が物見台です。物見台の跡に作られた展望台からは往時のように周囲を見渡すことができます。

以下、歴史と城の用語についての補足です。
【 歴史 】
今に残る金山城跡は、新田一族の岩松家純が文明元年(1469)に築城したものが基礎となっています。後の享禄元年(1528)からは、岩松氏の家老・横瀬成繁が下克上し、由良氏(横瀬から改性)が城主となり、金山城は由良氏の代で全盛期を迎えました。後の戦乱で、上杉氏、武田氏、北条氏の攻略に耐えましたが、天正12年(1584)に北条氏に降伏し開城しました。天正18年(1590)の小田原征伐で北条氏の滅亡と共に金山城も廃城となりました。昭和9年(1934)に群馬県で城跡としては初の国指定の史跡となりました。平成6年(1994)から金山城の整備事業が開始され、発掘調査結果に基づいて曲輪の石垣や通路など城郭が復元され、関東では珍しい石垣の城の見学が可能となりました。

【 用語 】
■曲輪(くるわ) :堀・土塁・石垣などによる区画地、尾根や傾斜地は平らに整地
■虎口(こぐち) :城や曲輪への出入口。攻防の拠点
■土塁(どるい) :曲輪や通路を守る施設、土を突き固め盛ったもの
■堀切(ほりきり):山城の堀、尾根を断ち切って曲輪を守る施設

金山城の見どころ「月ノ池」

金山城の見どころ「月ノ池」

写真:大木 幹郎

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二の丸と本丸の手前の曲輪にある一大防衛拠点「大手虎口」(写真右奥)と、金山城で最大の堀切である大堀切の間にある溜池が「月ノ池」です。上下2段の石垣で囲まれ、最上部以外は、戦国時代の石垣を残して復元されています。池は尾根の鞍部(谷間、低い所)に作られ、斜面の表面や浸透した水が溜まるようになっています。今も水が蓄えられる篭城でのライフラインとなった重要な水源です。

金山城の最大の見どころ「大手虎口」

金山城の最大の見どころ「大手虎口」

写真:大木 幹郎

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金山城跡を代表する見どころが「大手虎口」です。金山城で最も大きく重要な虎口で、尾根の鞍部(谷、低くい所)を利用して造られ、二の丸と本丸へ続く通路を守る防衛拠点で、正面の大きな石垣と通路を挟む壇状の曲輪から構成されています。

通路を挟む石垣の土塁の上、南北の両側の曲輪は壇状になっていて、兵達の詰め所や武器庫があったそうです(写真右の南曲輪の上に再現された建物の屋根が写っている)。堅牢なのは石垣の立派さだでなく、水の溜まり易い地形を克服した、曲輪内や通路に造られた排水のための水路などの工夫にも見られます。正面や両側に壇状の石垣の土塁や曲輪を配し、排水の機構を備えるという、このように大規模で複雑な虎口の構造は全国的にも珍しく、難攻不落を誇った金山城を象徴する場所とされているのです。

金山城の見どころ「日ノ池」

金山城の見どころ「日ノ池」

写真:大木 幹郎

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大手虎口の手前にある月ノ池と同様に、上下2段の石垣で囲まれていて、2箇所に石組みの井戸があります。日ノ池は、山の上では稀な大池で、金山城の象徴的な場所の1つです。生活用水の確保に使われただけでなく、戦勝や雨乞いなどの祈願を行った場所でもあったと考えられています。発見された平安時代の書物からは、水の信仰との関わりが記され、日ノ池の立地する場所は、金山城の築城以前から神聖な場所であったと考えられています。

写真は、日ノ池を二の丸跡の東側から見た景観で、正面奥(西側)が大手虎口です。左奥に見える2棟の建物は、トイレと休憩所で、南側に大きな展望が広がっています。

金山城の見どころ「本丸跡の新田神社」と「大ケヤキ」

金山城の見どころ「本丸跡の新田神社」と「大ケヤキ」

写真:大木 幹郎

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山頂の本丸跡には、新田義貞を祀る新田神社(明治8年の創建)が鎮座しています。新田義貞は、鎌倉時代の後期から南北朝時代に活躍した武将で、鎌倉幕府の滅亡(元弘元年・1333)と、後醍醐天皇による建武新政の樹立の立役者となりました。太田市に縁のある人物で、現在の太田市を含む上野国新田荘が拠点の所領でした。神社の東側からは展望がよく、手前に太田市や、栃木県の足利市、奥に茨城県の筑波山など、関東平野が一望できます。

新田神社へ続く参道の途中(御台所曲輪の跡)には、巨木の大ケヤキ(欅)が立っています。大ケヤキは、幹周が6.8m、枝張りが40m、推定樹齢は800年です。古木の風格と太い大枝を横に広げた特徴的な姿を持つ見応えある巨木です。金山城の盛衰を見つめてきた歴史の証人でもあります。写真の左奥、石段の先が新田神社で山頂です。

史跡見学・展望・ハイキングの金山城跡

復元された金山城跡の主な遺構は、本丸跡の新田神社のある山頂から西尾根の西矢倉台西堀切まで約300mほど続いています。尾根上に復元された堀切、土塁、曲輪、虎口の中を歩けば往事の兵士たちの生活への想像が膨らみます。大手虎口をはじめとする立派な石垣には、城跡としての強い臨場感と威厳が感じられます。関東平野を見下ろせる好展望台でもあり、物見台や、日ノ池の横にある休憩所、新田神社のある山頂からの展望が特にお勧めです。

復元された遺構に近い最寄の駐車場(モータープール)からは、約20分で山頂の新田神社に着く距離です。麓からのハイキングコースが整備されていて、山頂まで1時間から1時間30分程度のコースが複数あります。貴重な石垣の城跡の見学に、関東平野を展望を眺めに、ハイキングコースで軽く汗を流しに、太田市近郊にお出かけの際は、金山城跡への立ち寄りをお勧めします。

金山城跡へのアクセスやハイキングコースの詳細については、MEMOリンクの太田市公式サイトをご確認ください(地図あり)。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/11/24 訪問

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