写真:木村 岳人
地図を見る上条集落の入口には福蔵院というお寺が境内を構えています。観光客用の駐車場やトイレもこのお寺の前にありますので、ここを散策の拠点とするのが良いでしょう。
福蔵院の山門横から登り坂が伸びており、そのまま尾根伝いの小路を辿っていけば上条集落に辿り着きます。今でこそアスファルトの車道が別途で敷かれていますが、かつてはこの小路が集落の人々の生活道路でした。いわば上条集落の古道ですね。
村の鎮守社である金井加里(かないかり)神社を通り過ぎ、視界が開けたその先に広がるのは昔ながらの集落景観。この古道は集落を見守ってきた歴史の証左であると共に、集落一のビューポイントでもあるのです。
写真:木村 岳人
地図を見る上条集落には11棟の古民家が現存しています。いずれも切妻屋根(開いた本を被せたような形状の屋根)の平入(棟と平行する側に玄関を設ける様式)で、屋根の中央部分をせり上げた「突き上げ屋根」とするのが最大の特徴です。
現在はほとんどの屋根が鉄板で覆われていますが、本来は茅葺屋根。これらの主屋は江戸時代中期から昭和初期にかけて建てられ、一番古いものは17世紀後半の建造というから驚きですね。
天明4年(1784年)に記された「下小田原村上条組屋敷検地御水帳写」によると、正徳3年(1713年)には上条集落に11軒の家があったとが記されています。集落の規模が江戸時代から変わっていないのも、上条集落の凄いところです。
写真:木村 岳人
地図を見る集落の歴史は江戸時代にまで遡りますが、今に見られる「突き上げ屋根」が築かれるようになったのは、実は明治時代中期以降のことです。それ以前の主屋は、シンプルな切妻屋根でした。
明治時代に入ると、日本政府は外貨を得るため主要輸出品目である生糸の生産を奨励しました。甲州においても養蚕が盛んとなり、農家では主屋の屋根裏を利用して蚕を育てるようになりました。蚕の育成には日当たりと風通しが重要なため、屋根を改築して大きな窓を設けたのが「突き上げ屋根」なのです。
このような「突き上げ屋根」はかつて甲州に広く分布していましたが、第二次世界大戦後に養蚕が衰退するにつれてその多くが失われました。これだけの密度で「突き上げ屋根」が現存する集落は上条の他になく、まさに唯一無二の集落景観といえます。
写真:木村 岳人
地図を見る日当たりの良い山の斜面に位置する上条集落は、石垣によって整地した雛壇状の土地に家屋や畑が広がっています。特徴的な家屋や畑の色彩が、背後に広がる自然豊かな山林と相まって、集落の美しさをより引き立てているんですね。
現在、畑ではブドウやスモモの栽培が行われていますが、江戸時代には主に煙草の栽培が行われ、また明治時代には蚕のエサである桑の木の栽培や、低い土地では稲作も行われていたそうです。時代に適応して作物を変えつつ、上条の家々は維持されてきました。
そんな集落をのんびり散策していると、気がつくのは道祖神や六地蔵など古い石仏の多さ。集落の中心に建つ茅葺屋根の観音堂には、江戸時代の著名な仏師である「木食白道(もくじきびゃくどう)」が刻んだ百観音像が祀られており、その歴史の深さに驚かされます。
写真:木村 岳人
地図を見る上条集落で最も目立つ家屋は、江戸時代後期に建てられた中村家住宅でしょう。かつては他の家屋と同様、屋根が鉄板で覆われていましたが、平成21年(2009年)の修理によって昔の茅葺屋根が蘇りました。
現在は「甲州民家情報館」としてNPO法人山梨家並保存会によって管理されており、内部の見学や貸し出しも可能です。リーズナブルな料金で借りることができますので、家族やグループなどで古民家体験はいかがでしょうか(利用には事前予約が必要です。連絡先や開館期間、利用料金などの情報は文末の関連メモをご参照ください)。
甲州ならではの「突き上げ屋根」が纏まって残る上条集落は、2015年7月に「甲州市下小田原上条」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。後世に残されることとなった甲州地方の原風景。ぜひとも足を運んでみてください。
なお、上条集落は住民の方々が普通に生活している静かな集落です。訪問の際には住民の方々に迷惑にならないよう心がけましょう。
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(2024/9/16更新)
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