駐車場から参道を歩くと右手に出てくるのが、この「休ヶ岡(やすみがおか)八幡宮」。薬師寺の鎮守社として平安時代に宇佐八幡より勧請されたと伝わる。
薬師寺への参拝者は、まずここでご挨拶をしてからというのがルールなのだが結構スルーしてしまう人が多いし、電車の駅からは反対側になってしまうせいか、ほとんど誰もいないので心が落ち着く。
御祭神の八幡三神像は国宝、現在の社殿は1603年豊臣秀頼公の寄進によるもので重要文化財に指定されている。
東塔と同じく天平時代に建立された「西塔」だが1528年に焼失。その後1981年に再建されるまで、約450年ものあいだ東塔が「顔」として薬師寺をささえてきた。
仲良く東西両塔が並んでいたのもつかの間、現在は「東塔」が解体修理に入ってしまい2018年までその姿は拝むことはできない。
だが、果たして古い方が必ずしも良いのだろうか?東塔は確かに天平の建築であり価値があるのだが、長い年月の間に何度も修復を受けてきたので、いささかオリジナルの姿から変化している。
例えば西塔に見える連子窓(れんじまど)は東塔では白い壁になってしまっていたり、屋根の反りも西塔の方がピンとしていたり…といったように創建当時の姿をとどめているのは「西塔」の方なのである。
あらためて創建期の薬師寺を感じてみるのも良いだろう。
薬師如来を挟むように、向かって右手に日光菩薩、左手に月光菩薩と並んでおられるのが御本尊の「薬師三尊」である。
薬師如来は読んで字の如く「お医者さん」であり、昼間と夜間の補助に日光、月光それぞれの菩薩がつくと解釈して頂くと一番分かりやすい。
本来は東方浄瑠璃世界におられ、我々に生を与え現世に送り出してくださる薬師如来だが、時にはこうして単独でお祀りされ病やケガに苦しむ衆生を救いに現れてくださる。
しかし薬師寺は、天武天皇の勅願寺でありながら国家鎮護的な寺院ではなく「讃良皇后の病気平癒」を目的としており、愛する妻のために完全看護の病院を建てたようなものなのだ。
ほどなく皇后の病は無事に完治、後に持統天皇となり活躍されることとなる。
薬師三尊の前に立つと、まるで天武天皇に寄り添うように讃良皇后と皇太子の草壁皇子が立たれているように見えてしまう。
天武天皇の絶大な権力と皇后への愛情の深さを感じて欲しい。
御本尊「薬師如来」は金銅仏としては世界的にも秀麗な像として有名であるが、もう一つこの台座部分にも他では見られない特徴がある。
とはいえ、金堂では正面と側面は見えないので、北側…つまり御本尊の後ろに回ると台座の部分が大きく開いている部分がある。
そこでじっくりと観て頂くと、さまざまな文様や異人像が刻まれているのが分かると思う。
上の框(かまち)にはギリシャの葡萄唐草文、周囲にはペルシャ(現イラン)の蓮華文、中にはインドの蛮人ヤクシャ(夜叉)の像、下の框には中国の四方神(東に清流、南に朱雀、西に白虎、北に玄武)となっている。(東僧坊にレプリカ展示)
これは当時の文化が遠くギリシャからペルシャ、インド、中国を経て薬師寺まで伝わってきたということであり、「奈良」というところがシルクロードの終着地であることの何よりの証拠といえる。
この素晴らしい台座を目の前で観ながら、悠久の歴史に思いをはせるのも薬師寺ならではの魅力の一つだといえる。
薬師寺の観光といえば季節にもよるが東塔、西塔、金堂、大講堂、そして道路を挟んだ北側にある「玄奘三蔵院伽藍」を回って帰るケースが多い。
ここに紹介する「東院堂」は塔や金堂などを囲む回廊の東外側に建っているので人目につかず、残念なことに多くの方にスルーされてしまう。
この東院堂は、奈良時代初期に長屋王の正妻、吉備内親王が母である元明天皇の冥福を祈り発願建立されたもの。現在の建物は鎌倉時代の再建なのでオリジナルではないが国宝。
御本尊の「聖観音菩薩像」は創建当初からの金銅仏で、金堂の薬師三尊と同じく白鳳時代の作で国宝。
その姿は若々しく崇高な使命感に満ち溢れ、気品と端麗さが漂う、比類なき美しさを持つ仏像である。
堂内には腰をかけて御本尊と向き合えるように椅子が設置されているので、金堂とは違いゆったりとした時間を過ごせるのも嬉しい。
メモ
「玄奘三蔵院伽藍」は公開期間以外は非公開となるのでご注意。
平成25年度公開期間
8/13〜8/15
9/16〜11/30
1/1〜1/15
この記事の関連MEMO
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索