新千歳空港が北海道の空の玄関口なら、空港からさらに南にある苫小牧は北海道の海の玄関口と言える。なにしろ、関西に近い敦賀(福井県)、首都圏からのアクセス便利な新潟、大洗(茨城県)、東海の中心地・名古屋、そして仙台・秋田・八戸(青森県)という東北の主要都市と苫小牧はほぼ毎日フェリーで結ばれているのだ。
画像はフェリーターミナルのある苫小牧港。大洗からやってきた商船三井フェリーの「さんふらわあ ふらの」から、仙台および名古屋に向かう太平洋フェリー「きそ」を撮影したもの。この他、八戸からシルバーフェリーも出入りする。いずれも設備は豪華な大型フェリーだ。
ここは別名「西港」と呼ばれる。
東港はここからちょっと離れた場所にあり、苫小牧駅から直通バスで40分ほどかかる。東港は秋田、新潟、敦賀に寄港する新日本海フェリー専用のターミナルとなっており、この夏にフェリーで苫小牧に行く人は、自分が乗る船がどちらに着くのかあらかじめ注意しておきたい。
毎年夏になると、フェリーの利用者がそれまでのシーズンに比べて急増する。
そしてフェリーターミナルに降り立つと、札幌や富良野などぞれぞれが目指す目的地にそのまま直行する。残念ながら北海道の入口である苫小牧にゆっくり立ち止まっていくという旅人は少ないように思われる。しかし、この苫小牧だけでも充分に、しかもかなりリーズナブルに北海道の魅力を味わうことができることを知る人もまた少ないのではないか?
筆者はフェリーに乗って苫小牧に降り立つと、その魅力を確かめるため、まずはターミナル前から路線バスに乗ってJR苫小牧駅に向かった。
「でっかいどう、北海道」
今から40年近く前の1977(昭和52)年にテレビなどで放送された、「全日空さわやかキャンペーン」の広告コピーである。
そんな昔のコピーにもかかわらず、今なお北海道のイメージにこのコピーを思い浮かべる人も多いし、当時生まれていなかった世代も、このコピーに憧れて北の大地を目指す者がいる。
せっかく北海道に来たのだから「でっかいどう!ほっかいどう!!」的な風景を見たいと思い、IR苫小牧駅へとやってきたのだが、すでにこの地点でも北海道の雄大さを感じることが出来るのだ。
というのも、ここ苫小牧駅を間にした室蘭本線の沼ノ端(ぬまのはた・苫小牧の東隣駅)と白老(しらおい・苫小牧から西へ5駅)間は28.7キロメートルあるのだが、なんと、この区間はひたすら真っ直ぐなのだ!もちろん日本一長い鉄道の直線区間である。
この時点ですでに、他の地域にはない「でっかいどう」なスケールではないか。
それでは次の「でっかいどう」を求めて苫小牧を始発とする二両編成のワンマン列車「様似(さまに)行き」へと乗り込んでみよう。
ちなみに、先ほど苫小牧駅は室蘭本線と書いたのだが、この様似行きは出発して、すぐの分岐点から日高本線へと入っていき、終点へは3時間40分ほどの時間を要する。鉄道はないのだが、そこから先に進めば襟裳岬。ここでも、もちろん雄大な自然に出会えるだろう。
ただ、私は苫小牧の隣駅・勇払(ゆうふつ)駅で下車。それでも1駅で12分ほどかかるのだから、こういうところでも「でっかいどう」を感じる。勇払駅は無人駅のため、駅には改札がない。そのため下車の際に先頭車両で運転手に苫小牧からの切符を渡す。
この勇払駅のおそろしくシンプルな駅舎や、周囲の原野が広がる風景を観ただけでも、すでに都会ではまず得られない「でっかいどう!」気分を満喫できる。
勇払駅から歩いて10分ほど。「勇払ふるさと公園」がある。
ふるさと公園の一角に『開拓使三角測量勇払基点』という石碑が立っている。三角形のガラス張りのカプセルがあり、そのなかに石が埋まっている。
これをただの石ころと思うことなかれ。
石碑の説明図を読んでみよう。
「この勇払基点は、当時の最新技術を駆使した、わが国で最初の本格的三角測量事業施設であり、ここからは、多くの日本人測量技術者が育つなど、北海道史ならびにわが国測量史上貴重な文化財である。」とある。
明治政府が送った北海道開拓史が1873年、三角測量法による地図作成に着手した場所が、まさにこの石のある地点だったのだ。日本の測量の歴史上、大変重要な場所なのである。
さて、ふるさと公園の隣に「蝦夷地開拓移住隊士の墓」がある。この墓の背景について触れるには、開拓史三角測量勇払基点の時代から70年以上さかのぼる必要がある。
18世紀末当時、日本との交易を求めてロシアが北海道や樺太(サハリン)そして千島列島に頻繁にやってくるようになっていた。鎖国をしていた江戸幕府は、ロシアの進出に備えて蝦夷地(現在の北海道)の経営に腰を上げた。そして東蝦夷地(いまの北海道太平洋側南部)の開拓と警備のため1800年、八王子千人同心を勇払に送り込み、入植を試みさせた。
八王子千人同心とは、いまの東京都八王子市の周辺に土着していた千人頭(がしら)を中心とした郷士の集団だ。平時は在村し本百姓(ほんびゃくしょう)として農耕に従事し、いざ江戸幕府に一大事があれば、馳せ参じるという存在だ。
江戸幕府にとって鎖国は国是。それが今、ロシアによって破られようとしている。そして日本にとってまだまだ未開の地であった蝦夷地をロシアから守らねばならないという、確かに一大事であった。
こうして組頭・原半左衛門を隊長に弟新介を副士として同心子弟100人を伴って蝦夷地に入った。半左衛門は50人を引き連れて白糠(しらぬか)へ、新介は勇武津に入り、警備、開墾などに従事するようになる。
しかし現実は厳しかった。短い日照時間と火山灰地帯のため土地は痩せており、開拓は進まず、寒冷地に慣れない隊士たちは次々に病に倒れ、2年目に亡くなるものが10名を超えた。
こうして同心たちは入植4年目に開墾地・勇払を離れ、開拓は失敗に終わった。
この公園には移住隊士65名のお墓があり、きれいな地蔵堂も建てられている。
いまでこそ北海道は、多くの人が訪れる北の大地になったが、その礎となったのが八王子千人同心の移住隊士たちであり、明治に測量をここから始めた北海道開拓使の努力だった。
せっかく北海道に来たのだから、ここ勇払で北海道の歴史を、じっくりと振り返るのも悪くない。
勇払ふるさと公園の移住隊士の墓のそばに勇武津資料館がある。入館無料なので、おじゃましてみよう。
幕末の勇武津会所を模した資料館には明治の開拓時代だけではなく、古代の出土品やアイヌ民具、北前船に関わる資料が展示されていた。
そして公園のすぐそばに広がる荒涼たる勇払原野を眺める。一面、人家もない原野。北海道上陸からすぐに、でっかいどう的スケールの大きさにしばし圧倒される。
ちなみに勇払原野にはバードサンクチュアリおよびラムサール条約に登録されているウトナイ湖がある。ここでは、多くの野鳥が観察されるほか、ハスカップが自生しているのでアウトドアネイチャー派には見逃せないスポットとなっている。
勇払から日高本線で苫小牧に戻る。JR苫小牧駅から徒歩20分くらいかけて苫小牧市科学センターのミール展示館へ向かう。ここには旧ソ連が世界初の長期滞在型の宇宙船として打ち上げた宇宙ステーション「ミール」の実物(打ち上げられたものの予備機)が展示されている。
ちなみに「ミール」は1986年2月に打ち上げられ、無重力環境でのさまざまな実験を行い大きな成功を収めた。しかし老朽化のため、2001年3月、ニュージーランド東方2000キロメートルの南太平洋に落下しその使命を終えている。
1998年に市制施行50周年を迎えた苫小牧市はこれを記念して、同年に岩倉建設株式会社よりロシア(旧ソ連)製宇宙ステーション「ミール」(実物予備機)の寄贈を受けた。
当初は屋外に展示されていたが、1999年12月に「ミール展示館」がオープンした。そして、ここも勇武津資料館と同じく無料で見学できる。
でっかいどう。そして、宇宙は北海道よりもはるかに広い。北海道の歴史そして宇宙の広大さを知る。ここ苫小牧は、スケールのでかい旅をとてもコンパクトに行うことができるスポットだと言えるだろう。
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