兵庫県西宮市門戸西町にある門戸厄神の正式名称は「松泰山東光寺」です。ここは由緒ある場所で、高野山真言宗別格本山となっています。
歴史は古く、嵯峨天皇が41才の御厄年であった天長6年(829年)、愛染明王と不動明王が一体となって夢に現れました。その祈願を空海(弘法大師)に命じます。そこで空海は両明王が一体となった厄神明王像(秘仏・両頭愛染明王像)を三体刻んだとされています。それが高野山の天野社、山城の石清水八幡宮、東光寺へ勧請されました。
しかし空海が作った三体のうち、現存するのは「門戸厄神東光寺」のみなのです。ここは空海の力がみなぎるパワースポットなのです!
中楼門から入って正面にあるのが厄神堂です。ここにあらゆる災厄を打ち払うという厄神明王(門戸厄神)が祭られています。こちらで1年を通して厄払いが出来るのです!
毎年1月18、19日に厄除大祭が行われ、節分には星祭が行なわれます。特に厄年大祭には数万人もの参拝者と多数出店する屋台により、とても賑わいます。
そもそも厄とは何なのでしょう。この考え方、風習は、平安時代にはすでに存在していました。
平安時代は陰陽師が大活躍していました。陰陽師は吉凶を占い、天文を見ることも重要な仕事でした。江戸時代になると地位は低下しますが時代が古くなればなるほど、朝廷内で極めて重要な役割にありました。映画やドラマで式神を飛ばす陰陽師が描かれることは多いのですが、不思議な力を駆使する姿は厄払いにぴったりだったのかも知れません。
厄年は数え年で男性が18、25、42、61、女性は19、33、37、61とし、男性42歳、女性33歳が本厄(大厄)とされます。本厄の前後1歳が前厄、後厄(挑厄)と言われます。しかしながらこれは地域(神社)によって違いがありますので近くの神社、あるいは参拝する神社がどうなのか、それぞれ確認してみて下さい。また、歴史的にも多くの解釈があります。
厄年と言われる年齢になれば、精神的に、肉体的に様々な事柄によって不調を起こしやすい、調子が悪いという話があったのではないかと考えます。そのような経験則が多く含まれ、神仏にお願いすることで厄除けをしてきたのではないのでしょうか。
また「厄」は単に厄災ということではなく「役」に通じ、大きな役割、節目ともなる年齢なので、一つの区切りとして神仏に祈願をしたという考えもあります。
なお、厄年に似た考え方、風習は世界の様々な地域に残っています。
日本中には多くの厄除神社がありますが、その中で三大厄神(日本三體)が石清水八幡宮(京都府八幡市)、天野明神(和歌山県伊都郡かつらぎ町)、そして門戸厄神東光寺となっています。
嵯峨天皇の勅願所であり、空海が開基したとされる門戸厄神は国家、皇家、国民の安泰をも願われた場所なのです。
門戸厄神がいかに重要であるかの他の理由として、ここは複数の形のお遍路をする場所の一つとなっています。「西国薬師霊場第二十番」「西国愛染十七霊場第二番」「摂津国八十八箇所第七十六番」となっているからです。
なお、境内には東光寺だけでも、他に多くの御堂があり順次参拝が可能です。また延命魂と言われる木を見ることが出来ます。これは高野山奥の院、弘法大師御廟近くの参道にあった高さ60メートル、樹齢八百年を経た老杉です。
年齢が厄年の方もそうでは無い方も、1年を通して厄除け・厄払いが出来る門戸厄神東光寺。現存する空海(弘法大師)の仏像が安置される長い歴史とパワーがみなぎる場所です。
また摂津国八十八箇所七十六番という巡礼地。その他の西国薬師霊場、西国愛染十七霊場でも賑わいを見せるこの地での厄除けを終えたら、巡礼の旅に出るという選択も旅もありかも知れません。
最後に、兵庫県は他にも多くの魅力的な場所があり、こんなスポットもお勧めです。
・天空の城「竹田城、
・世界遺産「姫路城」
・滝の中に仏像を探す「猿尾滝」、
・門戸厄神から比較的近い場所には歴史ある「昆陽寺」。
詳細は下記関連MEMOに記載していますので、ぜひ参考にして下さい。
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(2025/2/10更新)
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