日本には陰陽五行、十干十二支の考え方があり、今でも日常生活に密接な関わりを持っています。これは中国から流入し、やがて独自の変化をしたものです。
陰陽五行は、陰と陽のように「反する物」と「方角」に意味を持っています。これらを組み合わせて吉凶を占い、すべきことを決めてきました。
十干十二支の十干とは甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸です。昔は序列や用途の違いを表すのに甲乙丙丁を使いました。今でも邦楽で使われ、契約書にも甲乙を使う場合があります。
十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥で、十干と十二支の組み合わせが六十あります。六十歳を還暦としてお祝いするのは、ぐるりと一周して暦が戻るという考え方から来ています。
十二支の中にも五行が影響を与えています。有名な「土用の丑の日」はこの考えから来ています。
これらの専門家であったのが安倍晴明等の陰陽師であり、陰陽道によって様々な吉凶を占ってきました。
その重要な場所こそ、京都市上京区堀川通一条上ル晴明町の「晴明神社」なのです。
安倍晴明はこの陰陽師の大スターです。生没年ははっきりしませんが記録によって実在は確実視されています。生まれた場所ですが説として延喜21年(921年)に現在の大阪市阿倍野区に生まれたというもの、奈良県桜井市安倍などがあります。
701年に天武天皇によって創設されたのが陰陽寮ですが、これは現代で言う官僚機構でした。安倍晴明の時代には180年も経過しており朝廷内に多大な影響を与えるようになっていました。ここで天文博士になっているのが安倍晴明です。
後の花山天皇の勅命で天狗封じの術を行っています。天皇の信頼を得ることで影響力は増していき、朝廷、貴族に絶大な力を持つようになりました。今と違って様々に起きる天文事象、疫病などは、目に見えない力が影響していると考えられていた時代なのです。
これは晴明桔梗印です。今でも志摩地方の海女が魔除け、事故防止で手拭いに縫い付けるのはこの五芒星です。これは陰陽五行説の五行、木・火・土・金・水を司るために使われたと考えられています。
五行説と直接は関係ありませんが、この星型は世界中で魔除けや呪術の記号として使われてきたのは不思議なことです。
中国には西王母という神仙の神がいます。西王母は不老長寿の神でもあり、この神の主食が桃なのです。
日本の神話ではイザナギが黄泉の国から逃げ出す際、追いかけてきた醜女たちに投げつけた物の一つが桃です。なぜ桃を投げつけたのか、それが邪を払う、魔除けの意味があったからです。
3月3日は節目であり、女の子の魔除けと成長を願うのが桃の節句です。
また、奈良県纏向遺跡の発掘調査で桃が見つかりました。古代において桃は祭祀の供え物だったのではないかとの指摘もあります。大量に見つかっていることからも、はるか古代には既に重要な意味を持っていたと考えるのは自然なことです。
陰陽道は星を神としていました。中でも重要なのが北斗七星です。北極星を神格化した考え方は三世紀頃の中国で出来上がり、不動の姿が最高神とされました。その神の名前が天皇大帝です。
不動である北極星から北斗信仰に繋がっていきます。この影響を強く受けて成立した陰陽道ですから北斗七星は切り離すことは出来ないのです。
日本の天皇の語源はこの神から来ているという説もあります。天皇にとってどれだけ重要であったのかは、宮内庁所蔵の孝明天皇の礼服には、北斗七星、鳳凰、龍というシンボルが刺繍されているほどで、ここでも北斗七星が出てくるのです。
教科書において、道教や陰陽道が取り上げられることはほぼありませんが、重要な意味を持っているのです。それらが直接感じられることも、晴明神社の魅力と言えるでしょう。
平安の昔から現代においても、日本人の生活に深くかかわっている陰陽道の考え方。その中で特に光を放っているのが大陰陽師であった安倍晴明です。
そして晴明神社は芸能人、スポーツ選手も多数参拝しており、その力にあやかろうとする人が今でも続々と参拝している場所です。
それだけ有名な場所ですからおみくじで吉凶を占い、ご利益たっぷりのお守りを忘れずに頂きましょう。
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(2024/4/20更新)
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