三木家は、姫路の中心市街から夢前川のある西方に位置する英賀城の城主でした。ところが、羽柴秀吉による播磨侵攻によって英賀城が落城し、この林田の地に逃れてきました。そして、豊臣家・徳川家に仕えて林田藩を与えられた建部家のもと、大庄屋を代々勤めてきた家柄になります。
道に面した長屋門から敷地内に入ると、正面に茅葺きと本瓦葺きからなる屋根を持った堂々たる主屋が現れます。建てられた17世紀頃は草葺き屋根だったそうですが、18世紀に入ってから庇や棟に瓦屋根が葺かれたり煙出しが設けられたりと幾度も改修され、この姿が現在保存されています。
主屋を中央の玄関から入りました。天井には巨大な梁を組み合わせた立体格子が見られます。主屋東半分が土間になっており、土間より西には、式台を備えた上客用の玄関、そして表座敷と続きます。
なお、玄関の北には居間、表座敷の北には奥座敷があり、奥座敷の先に主屋と廊下で結ばれた離座敷、内蔵、新蔵もあります。表座敷・奥座敷・離座敷と座敷が3つもあるところに、格の高さが窺えます。
表座敷から南西に広がるのは日本庭園です。池泉のまわりに多彩な花木を植えた池泉回遊式庭園になっており、四季折々に花を咲かせ、紅葉し、実を付けて鑑賞者を愉しませてくれます。
座敷の縁からも望むことのできる緑豊かな庭園。こんな庭が我が家にあったら、と想像すると楽しくなってきます。
土間の奥、かまどの置かれた場所にも面白い工夫が見られます。この部分だけ梁の様子が異なっています。これは、梁に縄を括りつけてその上から土などを塗って固めたものです。勿論、目的は防火にあります。火の粉が梁にかかって火が付てしまわぬよう、このようになっています。
古い家屋だからこそ見られる、昔の家づくりの工夫です。
南に面した長屋門から、東側にかけて続く長屋にも注目すべきものがあります。それは、柱です。多くの柱は保存修理工事で取り換えられていますが、傷付いているにもかかわらず当時のままの柱が1本見られます。
理由はこの深く刻まれた傷にあります。この傷は天明の大飢饉が起こった天明年間(1781〜1789)に農民たちによって行われた家屋の破壊行為・打ちこわしの被害の痕跡です。打ちこわしは苛烈さを極め、姫路藩と龍野藩の力を借りてようやく鎮圧したそうです。
歴史の教科書に載っていた出来事が実際に起こっていた証拠が目の前で見られ、触れられることに感慨を覚えます。
いかがだったでしょうか。姫路でも中心市街ではなく郊外に位置しているため、なかなか訪れにくい場所かもしれません。しかし、そうした場所だからこそこうした貴重な建物が残っているともいえます。
有名な観光スポットではありませんが、じっくりと建物内をめぐれば充分な感慨が得られると思います。林田には藩校や古刹も残っており、しっとりとした町歩きも楽しめるでしょう。
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