JR播州赤穂駅から南へ約800m。街中に突如現れるのは、大きな櫓と石垣、そして水堀です。ここは赤穂城の入口にあたる「三ノ丸大手門」です。明治時代に廃城となった後、一度すべて壊され水堀も埋め立てられてしまいましたが、城郭復興の機運が高まったことで、昭和になって復元されました。
本来は橋の先にある小さな門の奥にもう1つ「櫓門」と呼ばれる二階建ての巨大な城門がありましたが、こちらはまだ復元されていません。現地にはかつて櫓門の巨大な柱があった場所を示すプレートが埋められていますので、城門の大きさを体感することができます。
お城の花と言えばやはり「本丸」です。かつて赤穂城の本丸には、藩主が暮らした本丸御殿が建ち、立派な日本庭園があり、そして巨大な城門がそびえていました。赤穂城跡は国史跡となり、建物を建てるなどの改変が文化庁の許可なしでは出来なくなりましたが、古写真を元にした「かつての建物を木造で完全復元する」という方法でお墨付きをもらい、城門や庭園などが江戸時代の姿のまま復元されました。
城門のところにボランティアガイドさんがおられるので、復元当時のいろんなエピソードを伺うのも一興です。
赤穂城は、近隣の姫路城や岡山城などのような立派な「天守」は上げられませんでした(天守は「建てる」ではなく「あげる」と言います)。しかし、天守を載せる石垣の台だけは築かれました。その天守台に登ると、かつて本丸御殿が建っていた本丸一帯が、庭園から城門まで、一望することが出来ます。
お城があった当時、天守台は御殿奥の裏手に位置していて、誰もが簡単に登ることができる場所ではありませんでした。城主やその家族など、ごく限られた人たちしか見ることが出来なかった天守台からの景色、赤穂城に訪れた際はぜひ登って見てみてください。
赤穂城が建てられたのは、1649年、江戸幕府の将軍も三代目(徳川家光)となり盤石の体制が築かれつつある時代でした。そのためか、お城の設計は実戦経験に基づいたものではなく、江戸時代の軍学者が机上ベースで考えて複雑に組み上げた形になっています。
本丸は幕末の五稜郭さながらの複雑な六角形とも八角形とも言える形をしていて、その周りをぐるっとお堀が取り巻いています。現在は整備が進み、複雑な本丸の周りをお堀に沿ってぐるっと廻ることが出来ます(一部のみ復元工事中で通行止めです)。
赤穂城本丸は、内側だけでなく、外側も見どころの一つです。ちなみに近くの歴史博物館には、赤穂城の巨大ジオラマが展示されていて、赤穂城全体の形を俯瞰することもできますよ。
赤穂城の周りにも、見どころはたくさんあります。有名どころでは、四十七士リーダーの大石内蔵助を祀る「大石神社」。その内蔵助がかつて住んだ家老屋敷の長屋門。初代赤穂藩主・浅野家の菩提寺「花岳寺」。江戸の大事件を報せに三日三晩走って赤穂に辿り着いた藩士らが城の手前で水を飲んだと伝わる「息継ぎ井戸」などです。
中でも「大石神社」の宝物殿には、実際に内蔵助が討入り時に使用した采配などの超級お宝が惜しげもなく展示されています。また長屋門の内部には、内蔵助に藩士らが江戸の急報を知らせる緊迫したシーンが実物大人形で再現され、迫力満点です。
ここでは更にもう一つの見どころ、「赤穂八幡宮」を紹介しましょう。大石内蔵助が生まれた際に奉納されたとされる絵馬や、内蔵助が寄進した石灯籠、お手植えの櫨の木など、内蔵助にまつわるお宝がたくさん伝わります(実際に見学できます)。
忠臣蔵とお城の町、赤穂。名産物の「天然塩」も有名で、おみやげ屋などでは赤穂の塩を使った「塩ラスク」も楽しめます。駅から歩いても行けますが、駅前にはレンタサイクルもあります。赤穂で一日、歴史散歩してみませんか。
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(2025/1/19更新)
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