写真:乾口 達司
地図を見る奈良県安堵町のなかほどに位置する極楽寺の創建は、飛鳥時代にまでさかのぼります。用明天皇の時代に当たる587年、聖徳太子により建立されたと伝わります。創建当初は常楽寺と呼ばれていましたが、次第に荒廃。平安時代中期、恵心僧都によって再興されましたが、戦国時代に入ると戦禍でふたたび荒廃。江戸時代になってようやく復興しますが、この時点でかつての隆盛をしのぶものは残されておらず、現在は近年に建て替えられたコンクリート製の本堂などがわずかに残るばかりです。
極楽寺のかつての隆盛については、お寺の方にうかがってみましょう。現在、田畑と化しているあたりまで境内が大きく広がっていたことを具体的に教えていただけますよ。
写真:乾口 達司
地図を見る収蔵庫を兼ねた本堂には、さまざまな仏像がおまつりされています。写真は四天王像のうちの多聞天立像。その奥は、国の重要文化財に指定されているご本尊の阿弥陀如来坐像です。いずれも平安時代の作と考えられていますが、特に多聞天立像は見上げるほどの大きさなので、迫力満点です。
写真:乾口 達司
地図を見るこちらは多聞天立像の反対側に立つ増長天立像。四天王といえば、その名のとおり、4体の仏像から成りますが、極楽寺に残されているのは、現在、上で紹介した多聞天立像とあわせて2体のみ。
もとは4体すべてがそろっていたはずですが、いつの頃か、失われたようです。2メートル以上の像高を持つ大きさゆえ、4体すべてがそろっていたら、さぞ圧巻だったことでしょう。もちろん、増長天だけでもご覧の迫力ですよ。
写真:乾口 達司
地図を見る本堂内では、見上げるほど大きな仏像ばかりに目を奪われてはなりません。足元に置かれた写真の箱にも、是非、注目して下さい。これは国の重要文化財に指定されている大般若経全六〇〇巻をおさめた箱。極楽寺からほど近い飽波神社に奉納されたもので、安和元年(968年)に書写され、応永年間(1394〜1428)に修復された大部の経典です。普段は拝観することが出来ませんが、毎年5月の第2日曜日にとりおこなわれる「大般若転読法要」で拝見出来ますので、極楽寺にはこの時期に訪れるのも一計でしょう。
写真:乾口 達司
地図を見るさて、リード文でもご紹介した広島大仏ですが、こちらは別に建てられた大仏殿に安置されています。ご覧のような巨大さで、像高は約4メートル!右端の女性と比較すると、いかに大きいかがうかがえるでしょう。
この広島大仏は、原爆の犠牲者を弔うため、終戦直後に造られた後、原爆ドームの近くにまつられていたもの。しかし、その後、半世紀にわたって所在がわからなくなっていました。極楽寺へは古物商を通じて渡って来たようで、2011年、当時の資料などを手掛かりにして調査を進めた結果、行方不明になっていた広島大仏であると判明したわけです。
行方不明になって以降、転々と所在を変えて来たことがしのばれる広島大仏もようやく安住の地を見つけて静かに鎮座されておられますが、お寺では、数年先をめどに、広島大仏を広島へ「出開帳」する計画が進行中とのこと。広島大仏が大通りをパレードする姿、是非、見てみたいものですね。その日が来ることを楽しみにしながら、極楽寺を訪れてみて下さい。
一般にはあまり知られていない極楽寺の魅力、おわかりいただけたでしょうか。特に広島大仏は必見の価値があるため、東大寺や興福寺など、名の知れた観光寺院の拝観に飽きたら、是非、極楽寺へも足を伸ばしてみて下さい。ただし、観光寺院ではないため、拝観の際には事前に連絡し、その旨をお伝えしておくことをお勧めします。
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(2024/10/9更新)
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