「眞田神社」は真田幸村の智恵の神社!長野県上田市で知将の智恵にあやかろう

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「眞田神社」は真田幸村の智恵の神社!長野県上田市で知将の智恵にあやかろう

「眞田神社」は真田幸村の智恵の神社!長野県上田市で知将の智恵にあやかろう

更新日:2016/01/11 20:18

大里 康正のプロフィール写真 大里 康正 写真家、旅ライター

長野県上田市に上田城跡公園があります。ここがかつて真田昌幸によって平城が築かれた場所です。その敷地内にあるのが眞田神社です。現在は真田昌幸、幸村親子が主祭神となっています。

2016年の大河ドラマの主人公、真田幸村がかつて住んでいたこの場所は、智恵のパワースポットなのです!

眞田神社について

眞田神社について

写真:大里 康正

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この地に真田の城があった当時、圧倒的な人数の徳川軍の猛攻を二度も凌いだのが真田昌幸、幸村親子です。その見事な戦い方からやがて智恵の神様であり主祭神として崇められるのが真田幸村です。

眞田神社は徳川体制である江戸時代になると仙石氏、松平氏と城主は変わっていきますが、いずれも民政に尽くしたということで祭神とされています。

後に幸村で有名になる昌幸の次男ですが、本名は信繁と言います。これからは幸村を正式な信繁で統一して記載します。

境内にある巨大な朱色の兜

境内にある巨大な朱色の兜

写真:大里 康正

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大阪の陣で兜を朱色で統一したのが真田信繁です。そして目を引く六連銭(六文銭)。この六連銭と鮮やかな朱色が真田の印象を強める一つの要因と考えます。写真の兜は大きさ2mを超えている巨大なもので大迫力!一見の価値があります。

真田井戸の伝説

真田井戸の伝説

写真:大里 康正

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眞田神社の左側奥に井戸がありすぐに見つけることが出来ます。この井戸には抜け穴があり、そこから城の北側にある太郎山麓の砦に通じていて、ここを使って兵糧を運び入れる、兵士が出入りしていたと言われています。

真田の攻防

真田の攻防

写真:大里 康正

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この場所が真田信繁についてどれだけ重要であるのかを説明するために、徳川軍との二度に亘る戦いに触れます。

天正13年(1585年)に徳川軍が7000人を超える大軍で上田城に襲い掛かりました。この際、真田は2000人にも満たない人数で迎え討ち、撃退しています。

二度目の攻防は慶長5年(1600年)の有名な関ヶ原の戦いです。徳川家康と石田三成が東西に分かれて戦いましたが、上田城の昌幸と次男の信繁は石田側でした。

徳川秀忠軍が、先の戦いとはケタ違いの38000人で戦いを仕掛けてきますが、真田は2500人で城に立てこもり、秀忠軍を7日間、足止めにしました。関ヶ原の戦いに間に合わなかった秀忠は家康から激怒されています。

しかしながら足止めの成果もむなしく、負けた石田三成側であったため、和歌山県の高野山に近い九度山に蟄居させられました。

その後、大阪の陣では徳川家康を震え上がらせ、日本一の智勇優れた武将と称えられるようになります。

上田の攻防、大阪の陣で味方が極端に少ない状況にも関わらず、それを凌いできたのは信繁の見事な采配があったからです。眞田神社にて智恵の神となった理由がよく分かります。

最後に

いかがでしたか?2016年度の大河ドラマの主人公である真田信繁が居住し、戦いの場ともなった場所にある「眞田神社」です。見ごたえのある境内の巨大な兜。また、興味が尽きない真田井戸。

ぜひとも足を運んで、信繁のパワースポットで智恵の恩恵を受けてみてはいかがでしょうか。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2014/05/03 訪問

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