岩手「花巻新渡戸記念館」新渡戸稲造のルーツを辿る!

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岩手「花巻新渡戸記念館」新渡戸稲造のルーツを辿る!

岩手「花巻新渡戸記念館」新渡戸稲造のルーツを辿る!

更新日:2017/11/17 12:06

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

1900年アメリカである書籍が出版されます。英語で書かれた日本人の著作『Bushido, the Soul of Japan』。邦題『武士道』、新渡戸稲造の著作です。
“太平洋のかけ橋”として世界で活躍した新渡戸稲造を生んだ背景には兵法、学問に優れた新渡戸家の武士の血脈。岩手県「花巻新渡戸記念館」では、稲造の祖父・傳、父・十次郎が従事した東北地域での土地開発を中心にその功績が紹介されています。

「花巻新渡戸記念館」へのアクセス

「花巻新渡戸記念館」へのアクセス

写真:KISHI Satoru

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岩手県花巻市にある「花巻新渡戸記念館」は、東北地方の新田開発に貢献してきた新渡戸家の功績を顕彰し、また関係する花巻の偉人たちが紹介されています。常設展示室とは別に、新渡戸稲造に焦点を当てた企画展示室もあります。

東北新幹線・新花巻駅から車で約5分、東北本線・花巻駅からは車で約15分の場所にあり、広々とした駐車場も完備。新花巻駅の4番のりば、花巻駅の2番のりばからは、バスも運行しているので公共交通機関でのアクセスも安心です。

緩やかな勾配を持った大地に、アゼリアの花と稲穂が添えられ“新渡戸稲造・父祖ゆかりの地”と刻まれた石碑。芝生広場や池、木々などを楽しみながら前庭の小道を進んで「花巻新渡戸記念館」へと向いましょう。

新渡戸家と花巻の歴史は“豊臣秀吉の政策”が発端

新渡戸家と花巻の歴史は“豊臣秀吉の政策”が発端

写真:KISHI Satoru

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1590年(天正18年)、豊臣秀吉による東北地方の領土の改変処置である奥州仕置(おうしゅうしおき)が行われます。
その影響の結果、新渡戸家・33代目の春治(ときはる)は現在「花巻新渡戸記念館」が建てられている場所にあった“藤四郎屋敷”に居住する事になります。

以後、新渡戸家・40代目の維民(これたみ)までの約230年間にわたり、高松安野(現在の花巻市高松)の地を中心に、新田開発を始めとして多大な貢献をしてきました。

常設展示室の中央には新田開発の大きな模型があり、また大型ビジョンでは映像にて新渡戸家の携わってきた人工河川の工事のプロセスが、分かりやすく紹介されています。

岩手なのに青森?南部盛岡藩内・三本木原の開拓

岩手なのに青森?南部盛岡藩内・三本木原の開拓

写真:KISHI Satoru

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現在の岩手県中部から青森県東部にまで及ぶ広大な地域が、当時、南部氏が治める盛岡藩でした。
新渡戸家はその後、藩内の下北半島に移り、41代目の傳(つとう)、42代目の十次郎(じゅうじろう)が三本木原(さんぼんぎはら、現在の青森県十和田市)の開拓に従事します。

厳寒の荒れ地を農業に適した場所へと変えるためには豊かな水資源が必要となり、人工河川の造成といった大規模な土地開発に着手します。
陸地に水路を、山にはトンネルを掘って地下水路を通すという難事業を約4年で完遂。出来上がった人工河川は、「稲生川」(いなおいがわ)と命名され、現在でもその地に名を残しています。

大型ビジョンの下には、山の断面模型が展示され、内部に水路を造設する様子が見て取れるようになっています。紹介映像を視聴してから確認してみると、作業の行程がよく分かります。

“太平洋のかけ橋”となった新渡戸稲造

“太平洋のかけ橋”となった新渡戸稲造

写真:KISHI Satoru

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1862年(文久2年)に十次郎と妻・せきとの間に三人目の男児が生まれ、三本木原で採れた米に因んで“稲之助”と命名。男児は成長し、東京、札幌、アメリカ、ドイツ等で学び、後に国際的な活躍をします。
“稲之助”とは、格調高い英文で著された『Bushido, the Soul of Japan』、邦題『武士道』にて、世界に日本を発信した新渡戸稲造の幼名です。

常設展示室と斜向かいにあるのが企画展示室。
こちらではテーマ展として「太平洋のかけ橋 ― 新渡戸稲造の生涯」が開催されています。日本語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポーランド語、ギリシャ語、中国語などなど各国の言葉に訳された『Bushido, the Soul of Japan』が紹介されているので、どれほど広く世界で読まれたかを体感出来ます。

新渡戸家の氏神「安野稲荷神社」

新渡戸家の氏神「安野稲荷神社」

写真:KISHI Satoru

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「花巻新渡戸記念館」の北東側には、新渡戸家が篤く信仰した“安野稲荷神社”があります。新渡戸家の35代目・新渡戸貞紹(さだあき)が夢枕に現れた志波稲荷大明神の分霊を屋敷の周りにある森林の中に建てます。以来一族の氏神として信仰祈念したのが“安野稲荷神社”です。

1864年(元治元年)に、41代目・新渡戸傳、42代目・十次郎、その長男・邦之助(後の七郎、稲造の兄)の連名で正一位稲荷大明神の神号が下賜されました。
新渡戸家の転住後は、地域の人々によって大切に守られ今日に至ります。現在の本殿は1896年(明治29年)に建立されたものです。

「花巻新渡戸記念館」の隣にあり、敷地内の散策路を進んでいけば直ぐですので、こちらにも足を運んで、お参りしてみて下さい。

岩手県花巻市「花巻新渡戸記念館」のまとめ

岩手県花巻の出身で新渡戸稲造とは札幌農学校、アメリカのジョン・ホプキンス大学での先輩として深く交流を持った人物、後に“北海道大学の父”と呼ばれる佐藤昌介(さとう しょうすけ)。

同じく岩手県花巻の出身で農学者であり、アメリカからゴールデンデリシャスを導入してリンゴの植栽研究を行なった“リンゴの父”と呼ばれる島善鄰(しま よしちか)といった、農業や教育に功績を残した二人の巨星も紹介されています。

花巻の風土と共に、新渡戸家の歴史や花巻の偉人たちの教えに触れてみてはいかがでしょうか。きっと実り多きものを得られるはずです。
「花巻新渡戸記念館」から約1.5キロ、車で約3分の場所には「宮沢賢治記念館」もあります。下部関連MEMOに詳細の記事へのリンクがありますので、そちらも御確認下さい。

以上、東北地方の新田開発に大きく貢献した新渡戸家の歩みと共に、新渡戸稲造や花巻ゆかりの人物を顕彰する岩手県「花巻新渡戸記念館」の御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/12/14 訪問

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