写真:Kaycom D
地図を見る洗足池は、面積が約77,000平方メートルある武蔵野台地から湧き出る湧水の池で、昔は「千束郷の大池」と呼ばれていました。江戸時代には、歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」にも描かれるほどの景勝地で、昭和5年には風致地区として指定。
「洗足池」という呼び名は、ここに立ち寄った日蓮上人が足を洗ったためという伝承があり、池畔に建つ御松庵妙福寺には、その日蓮上人が袈裟をかけたとされる「袈裟掛けの松」も残っています。
池の周りには約1.2キロの遊歩道が設けられ、源頼朝所縁の千束八幡神社やこの地を愛した勝海舟の墓などの史跡の他、ボートにも乗ることができるので、家族連れやカップルにもお勧めです。
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地図を見る千束八幡神社は、860年に宇佐八幡から勧請され千束郷の鎮守となりました。また「宇治川先陣物語」に登場する名馬「池月」発祥伝説の地とされています。
池月は、1180年に頼朝が鎌倉出陣のためにこの地に宿営した際どこからともなく現れた馬で、その姿がまるで池に映る月影のように逞しかったことから「池月」と名付けられました。この神社は、頼朝の陣営がこの馬を得たことを吉兆として士気が高まり、征旗を高く揚げ歓声がやまなかったことから、別名「旗上げ八幡」とも呼ばれています。
境内には、池に向かって走り出しそうな池月の銅像がありますが、実際に乗ってしまう人もいるらしく「馬に乗らないで下さい」との看板が脇に立っています。9月には重要無形民俗文化財の例大祭が行われるので、興味のある方は訪れてみてください。
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地図を見る弁財天社は、洗足池にぽこっと突き出た弁天島に建っています。創建の年代は不詳で、昔は池の中に没していましたが、数多くの人の夢枕に辨財天が現れたため、昭和9年に築島遷宮となりました。
橋を渡り島へ入ると、木立の中に建つ赤い鳥居が出迎えてくれます。午後に訪れると太陽の光が池の方から斜めに差し込み、とても幻想的な風景を見ることができます。
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地図を見る明治維新の立役者のひとり勝海舟は、江戸総攻撃を仕掛けようとして池上本門寺に本陣をおいていた西郷隆盛に会いに行く際、洗足池に立ち寄り休息しました。晩年、その洗足池周辺の風景を愛した勝海舟は、この池畔に「洗足軒」という別邸を設け、西郷隆盛と日本の将来について歓談したといわれています。
※池上本門寺については関連MEMOに記載の『門前町の風情を満喫!東京「池上梅園」と「池上本門寺」の花と史跡めぐり』もご覧ください。
洗足軒は戦災で焼失してしまいましたが、現在は勝夫妻のお墓がこの地に残り、その隣には、勝海舟が西郷隆盛の死を惜しみ追慕のため建立した「西郷隆盛留魂祠碑」が建てられています。もともとは葛飾区の薬妙寺にありましたが、勝海舟の遺志により移されました。
江戸無血開城を成しとげ、江戸の町と人々を救った勝海舟のお墓には、今なお多くの参拝者が訪れ花が手向けられています。
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地図を見る御松庵妙福寺には、1282年日蓮上人が身延山から常陸国に湯治へ向かう途中、池上本門寺に立ち寄る前に、池畔で休息し足を洗う際袈裟をかけたという「袈裟掛けの松」があります。現在の松は3代目とされ、初代の松は「枝四面におおい長さ幹囲み三合がかり、高さ五丈あり」と「嘉陵紀行」に記されています。
竹林が涼やかな境内には、国の登録有形文化財の祖師堂や大田区指定文化財の馬頭観世音供養塔などもあり、近所の人の散歩コースにもなっています。時間は限られますが、隣接する図書館脇の小路を通り抜けることも可能。
これだけの範囲に、誰もが知るさまざまな年代の偉人所縁の場所があるのは、なかなか興味深いのではないでしょうか。史跡に纏わる伝承や偉人達が生きた時代に思いを馳せつつ、夕日が美しい時間帯に散策してみてください。
桜の名所としても知られていて、春にはたくさんの花見客が訪れます。
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(2023/11/29更新)
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