出世する散歩道!? 浜松で家康の足跡を辿る「家康の散歩道」

出世する散歩道!? 浜松で家康の足跡を辿る「家康の散歩道」

更新日:2016/01/20 14:28

2017年の大河ドラマの女城主・井伊直虎。その舞台であり、なにかと歴史的に熱い浜松市。その本命と言えばやっぱり徳川家康。浜松観光で浜松城に行く人は多いですが、知る人ぞ知る観光コースに「家康の散歩道」があります。家康の足跡を実際に歩けばあなたも天下が取れるかも!?

浜松で家康ゆかりの地を巡る

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浜松は徳川家康のお膝元だけに、たくさんのゆかりの地があります。そのスポットをお散歩がてら回ってみよう、というのが「家康の散歩道」。

が、しかし、散歩というには、けっこう広範囲で、大人の足で約2〜3時間はかかります。というわけで、ウォーキング感覚で半日かけて、運動するぐらいの気持ちでいくといいと思います。

オススメはクルマを浜松城公園に停めておくこと。まず、駐車場代が無料なのが嬉しいですし、ちょうど中間地点ぐらいなので、もう無理!と思った時にクルマで回ることもできます。

見るべきスポットは15スポットにも亘りますので、途中でギブアップ、なんてありえますよ。

さて、ではまず、スポットその一、「浜松八幡宮」から行きましょう。ここの見所はなんといっても、静岡の天然記念物に指定されている御神木「雲立の楠(くもたちのくす)」。見事の枝ぶりで、幹周りは13mもあります。

とにかく伝説が数多く、八幡太郎義家がこの木の下に旗を立てた、とか、徳川家康が三方ヶ原の合戦で逃げ帰ってきた時、この木の幹の中の空洞に身を隠したなど。ちなみに「雲立の楠」の名は、その時、瑞雲が立ち上がったから、だそうです。

とまあ、いろいろと伝説が多いですが、社殿も立派でなかなかいい雰囲気です。境内にはおしゃれな結婚式場もあり、本格的な神殿結婚式もできる。いまなお、現役で市民に愛されている八幡様です。

浜松の東照宮は天下人になるパワースポット!?

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スポットその二、「椿姫観音」。椿姫と聞けば普通はオペラを思い出しますが、浜松では女城主、椿姫。引間城城主、お田鶴の方(のちの椿姫)は徳川家康の攻撃に抵抗するも、死闘の末、討ち死。

家康は、彼女と彼女の侍女たちの亡骸を塚を作って手厚く葬ります。家康の正室、築山御前が其の塚に椿の花を植えたところ、美しく咲き誇った、との伝承から、「椿姫観音」と呼ばれるようになったそうです。

浜松の街中にひっそりと椿姫を祀った祠があります。このあたりは、浜松の現在の町並みを楽しむのもいいでしょう。

スポットその三、「二代目将軍 徳川秀忠公誕生の井戸」。秀忠が産湯をつかったという井戸。遠鉄の遠州病院前駅のすぐ目の前にあります。

さあさあ、続きましてスポットその四、「浜松元城町東照宮」です。
日光東照宮、久能山東照宮が有名ですが、浜松にも東照宮があるんです。もともとは引間城の天守閣があった場所。

椿姫が守っていた城ですね。浜松城ができるまでは、この城を家康は居城としていました。

このお城、出世城としてパワースポットでもあります。というのも、家康が城主となる前、秀吉がこの城に仕えており、なんと天下人が二人も関わっていた場所。

静岡文化芸術大学の磯田道史先生が新聞のコラムで「出世神社」として紹介したこともあり知る人ぞ知るパワースポットとなりました。

浜松の街並みひっそりと佇む家康の黒歴史

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その五は「五社神社・諏訪神社」です。徳川秀忠の産土神(うぶすながみ)とされています。産土神とは、その者が生まれた時、その人を守る土地の神様、といったところ。

五社神社は引間城主が城内に設立したのが起源、諏訪神社は坂上田村麻呂が東征の際に奉斎したのが起源とされ、現在はなんと合体しました!家康、秀忠、そして家光も社参している由緒正しい神社です。

その六は「鎧掛松」、その七「浜松城」。浜松城はもう言わずもがなですね。「鎧掛松」は三方ヶ原の戦いで逃げ帰ってきた家康が鎧を掛けた松、ということ。浜松には三方原の戦い関係の史跡が多いです。

その八、「普済寺」。三方原の戦いの時、浜松城が燃えたかのように見せるため、家康によって焼かれています。その後、当然、家康によって復興されました。ちなみに豊川稲荷はこちらにある稲荷の末寺になります。

その九は「西来院」です。ここは家康の正室、築山御前のお墓があります。徳川家康の黒歴史といえる、織田信長の命によって、正室・築山御前と嫡男・徳川信康を殺さざるをえなくなった事件。そんなことを思いながらは入るとなんとも不思議な気持ちになります。

とても閑静で家々の区画も広い住宅エリアに、ひっそりとあります。そこだけ時が止まってしまったかのよう。中に入ると、誰もおらず、異空間に迷い込んだようです。

その十は曹洞宗のお寺「宗源院」。ここには三方原の合戦で、徳川家康の身代わりとなって戦死した成瀬藤蔵正義と、旗手として討死した外山小作正重のお墓があります。

お寺の東南に的場があり、家康がよく弓の稽古をしていたそうです。
というわけで由緒正しきお寺って感じですかね。

三方ヶ原の戦いの勇者たちに思いを馳せる

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その十一、「犀ヶ崖古戦場」です。ここには資料館があります。このあたりで一息ついておくといいでしょう。犀ヶ崖はこれまた三方原の合戦の話しですが、武田軍から浜松城に逃げ帰る家康軍は、ここで奇策に出ます。

深い崖となっている犀ヶ崖に布に絵を描いた橋をかけ、そこに追ってきた武田軍が次々に谷底に落ちてしまいます。奇策は大成功ですが、たくさんの死者が出ました。夏の浜松の風物詩と言える「遠州大念仏」はこの時の死者を供養するためのものです。歴史の爪痕が今も生きてます。

その十二、「本多肥後守忠真の碑」。
三方ヶ原の合戦で戦死した勇者だそうです。本当に三方ヶ原の合戦で功名を立てた人は大事にしてます。

その十三、「夏目二郎左衛門吉信の碑」。こちらは家康の身代わりとなった勇者。犀ヶ崖の斜め向かいにあります。

その十四は「浜松市博物館」。家康の書状や、三方ヶ原の合戦での敗戦直後を描かせた有名な「三方原戦役像」があります。ここでゆっくり見てしまうと、とても2〜3時間では終わらないのでご注意を!

その十五、最後は「太刀洗の池」です。徳川家康の正室、築山御前が殺害され、その刀を洗った池。現在は池もなく、目の前は病院というのも、なんだが偶然と思えませんね。

本当の家康像がわかる散歩道

いかがでしたか。浜松城だけじゃない徳川家康のゆかりの地が浜松にはたくさんあります。時間をかけて、自分の足でゆかりの地を巡ると、家康の武勇伝だけじゃない、人となりがわかるような気がしてきます。家康ファン、歴史ファンにはぜひ歩いてほしい散歩道です。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/05/15 訪問

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