写真:bow
地図を見る戦国時代最大の出来事でもある「本能寺の変」、その主役の一人である明智光秀。主君・織田信長を討ち、天下を手に入れたものの、そのわずか2週間後には中国大返しで戻った羽柴秀吉に天王山・山崎の戦いにて敗れてしまいました。
その戦いののち、光秀は居城坂本城へと戻る敗走中に、小栗栖の竹やぶで落武者狩りの農民に襲われ命を落としたとする説が有力とされています。その「光秀最期の地」が今も伝わっていることをご存知でしょうか?
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地図を見る明智光秀が最期を遂げた場所が「明智藪」と呼ばれる地。京都市伏見区小栗栖の住宅街のはずれに今もその場所があり、石碑も建てられています。
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地図を見る「明智藪」は特に観光地化されているわけではなく、史跡的な扱いです。もともとの「明智藪」とされていた場所は隣接している本経寺の所有地になっていて、平成になってから竹が伐採され、土砂崩れ防止の工事がされてしまっているようです。
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地図を見る石碑の奥に「明智藪」があるような案内看板がありますが、獣道のような道を奥へと進んでもどこが「明智藪」を指しているのかよくわかりません。
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地図を見るこの「明智藪」には、雨の降る日に通ると、どこからともなく軍勢の雄叫びが聞こえてくるなど数々の怪奇現象が起こったといわれており、それらは光秀の祟りだとされていたようです。
また「明智藪」の中には、「ワタ出」と呼ばれる竹が全く生えない小さな空き地があり、その場所こそがまさに光秀最後の地!脇腹に刺さった竹槍を引き抜いた時に、その弾みで光秀の腹から血と内臓が地面に飛び散った場所と言われています。
さらに「明智藪」には真っ赤な葉が生える竹が無数に生えていたとも言われていて、光秀の怨念が渦巻いた場所でもあるようです。確かに昼間に来ても少し薄気味悪い場所であるのは確かです。
<明智藪の基本情報>
住所:京都府京都市伏見区小栗栖小阪町 本教寺寺領
アクセス:市営地下鉄東西線「醍醐」下車徒歩約15分、京阪バス「小栗栖」下車徒歩約5分
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地図を見るそんな怪奇現象などのせいではないとは思いますが、「明智藪」が境内地にある本経寺には明智光秀の供養塔があります。悲運の戦国武将、光秀の供養を捧げて歴史の一端を伝えると駒札には記されています。
知らない人はいない程の有名なのに、なぜか悪役のようにされてしまっていて不遇の扱いをうけがちな光秀。真実はどうなのかわかりませんが、ここは手を合わせておきたいものです。
<本経寺の基本情報>
住所:京都市伏見区小栗栖小阪町5
電話番号:075-571-2173
アクセス:市営地下鉄東西線「醍醐」下車徒歩約15分、京阪バス「小栗栖」下車徒歩約5分
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地図を見る「明智藪」から直線距離で約2km北東には「明智光秀之塚」があります。ここは、実は明智光秀の胴体を埋めた「胴塚」とされている場所なのです。「明智藪」で自刃した光秀の首は秀吉の元へ届けられたとも、坂本城へ持ち帰られたとも言われています。しかし、胴体の部分はこの地に埋められたとされています。
「胴塚」は民家の敷地内にあり、街道沿いからははっきりと見えないので、注意していないと通り過ぎてしまいそうです。案内板も無く、やはり不遇の扱いを受けているように思える光秀なのです。
<明智光秀胴塚の基本情報>
住所:京都府京都市山科区勧修寺御所内町36
アクセス:市営地下鉄東西線「小野」下車徒歩約10分
日本人なら知らない人などいない戦国武将であるにもかかわらず、なぜかヒール的存在として扱われてしまっている明智光秀。当然戦国時代の出来事だからこそ、諸説も入り乱れており今に伝わっているものが正しいとは誰も断定できません。当然、その人の気持ちなど誰も知る事はできないでしょう。
だからこそ、実際にその土地を自分の足で踏み、その景色を目の当たりにして自分なりの想像を膨らませてみてはどうでしょうか。きっと何か感じるものがあるかもしれません。そんな戦国歴史ロマンに酔いしれるには観光地化していない、余計な予備知識も与えられない「明智藪」はピッタリな場所ですよ!
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(2023/12/7更新)
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