「被官稲荷神社」は、浅草神社の境内にあり、浅草神社の社務所の右横を進むと鳥居があり、その先にお社があります。
鳥居には「新門辰五郎」の文字が刻まれています。辰五郎は、江戸時代後期の浅草の町火消で、歌舞伎の世界や、テレビドラマ『JIN―仁―』に登場もする人物。安政元年に辰五郎の妻が重病になり、京都の伏見稲荷神社に祈願したところ病気は全快。そのことから、伏見稲荷神社から祭神御分身を当地に勧請し、1855年(安政2年)神社を寄進して、「被官稲荷神社」と名付けました。被官という言葉から、就職や出世にご利益があるとされています。
神社の建物は、間口1.5メートル、奥行約1.4メートルという小さなお社です。このお社は、関東大震災と太平洋戦争の空襲からも焼け残り、創建時(江戸時代後期)のものが現存しています。浅草寺も浅草神社も被害にあっていますから、本当に奇跡的!
また、小さなお社ですが、大正時代に建てられた覆屋があります。建築様式は、「一間社流造(ひとましゃながれづくり)」という神社本殿形式で、屋根は格式のある杉皮葺と、格調の高いものです。
稲荷神社ですから、境内には狛犬ではなく、稲荷神様のお使いの狐の石象が、あちらこちらに大小様々たくさん並んでいます。親子の狐や、鍵型の十手を持つ狐、玉を口にくわえる狐など、お気に入りの狐を探す楽しみがあります。
稲荷信仰と狐の関係は、稲荷神が農業神であり、狐が穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、狐が稲荷神のお使いとなったといわれています。もちろん、狐が日本人にとって身近な存在の生物であったことも大きいでしょう。狐の像は、どれも尾が立派!
狐の石像の裏側をよくみると、先代か先々代の中村吉右衛門、中村時蔵、中村歌六、中村米吉など歌舞伎役者さんたちの名前があります。寄贈者が人気のある役者さんたちであることから、被官稲荷神社が大正時代から芸能の神様としても、信仰されていた事が分かります。
歌舞伎役者の襲名の時には、浅草寺でお練りが行われることもあり、浅草神社の境内には初代吉右衛門の歌碑もありますから、歌舞伎とは縁が深い土地柄ですね。毎年1月には、浅草公会堂で若手の歌舞伎役者を中心に「新春浅草歌舞伎」が行われています。
絵馬も黄色が印象的な狐の顔、ユーモラスで微笑ましい!奉納されている素焼きの小さな狐の「お姿」も色鮮か。被官稲荷神社は伏見稲荷から御分身、勧請されて創建された神社ですから、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神様です。この絵馬の鮮やかな黄色が、たわわに実った稲の黄金色のようにみえます。
被官稲荷様のお姿も狐。家にお供えすることもできます。
浅草は、東京の代表的な観光地。しかし、浅草寺の隣の浅草神社の境内にある被官稲荷神社は、静かなただずまいを今に残しています。名前から、就職や出世にご利益があるといわれる被官稲荷神社。ぜひ浅草にお出かけの時には、立ち寄ってお詣りしてみてはいかがでしょうか!
可愛い狐さまに出迎えてもらい、その様々な姿をみているだけで癒されます。就職・転職活動で疲れた時に、特におすすめです。
この記事の関連MEMO
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索