写真:今村 裕紀
地図を見る「荏柄天神社」がある二階堂は、「鶴岡八幡宮」の東側、「鎌倉宮」や「源頼朝の墓」があるエリアです。
1180(治承4)年、平氏打倒の呼びかけに応じて挙兵した源頼朝は、鎌倉を拠点として「大蔵」の屋敷に入りました。この屋敷こそが、「鶴岡八幡宮」と「荏柄天神社」のほぼ中間に位置する「大蔵御所」、すなわち、「大蔵幕府跡」であり、「鎌倉幕府」の跡地です。そうして、源頼朝は、「荏柄天神社」を幕府の鬼門の守護神としたのでした。以降、鎌倉の武士たちの崇拝を受け、のちの時代も足利、豊臣、徳川氏によって守護されてきました。
そうして現在に至るまで「菅原道真」の縁起から学問の神様の「天神社」として親しまれています。「天神様」を象徴するように、本殿の左右の扉には梅の模様が刻まれています。さらに梅の季節には、本殿の右には赤の梅が、左には白の梅が花を咲かせます。
写真:今村 裕紀
地図を見る本殿に向かって右手前に大銀杏が聳え立っています。「鶴岡八幡宮」の大銀杏は、平成22年3月10日の未明に大風によって倒れてしまいました。「荏柄天神社」の銀杏は樹齢900年と伝えられ、倒れた「鶴岡八幡宮」のもの以外では鎌倉で最も古く、鎌倉市の天然記念物に指定されています。胴廻り10m、高さ25mの大銀杏です。
古い資料によれば、「天神画像」が舞い降りた地を里人が恐れ、その地を踏まれないようにと銀杏を植えたと記されていて、「荏柄天神社」の御神木になっています。ここにも「天神様」の強い思いが宿っているような気がしますね。そんな思いで、大銀杏を見上げてみると、時空を超えて過去の逸話が脳裏に浮かんでくるような気さえしてきます。もとより「天神様」とは、雷雨をも操ってしまうほどの強い力を持った神様の尊称なのですから。
写真:今村 裕紀
地図を見るもとより「菅原道真」は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて「怨霊」として恐れられることが少なくありませんでした。道真が生前優れた学者・歌人であったことから、学問の神として盛んに信仰されるようになったのは江戸時代以降のことです。仮に「怨霊」だとしてもこの激し過ぎる思いに感ずるものはありませんか?
祈ることは、こころに語りかけることです。誰かとひそかに対話することです。学問の神様に向けて語りかけてみませんか?本殿の前には、参拝者が奉納したおびただしい絵馬が飾られています。「天神様」への祈りの連なりです。「荏柄天神社」では、受験当日の早朝祈祷があります。受験当日の朝、一番祈祷にて神職が受験者に代わり合格成就をお祈りしてくれますよ。
写真:今村 裕紀
地図を見る本殿の左手には、ちょっと変わった塚があります。かっぱの漫画家で知られる清水崑が、愛用の絵筆を供養するために建てた「かっぱ筆塚」です。そうして その奥には、清水崑の遺志を継ぎ、絵筆に感謝の意を込めて、横山隆一ら多くの漫画家たちが建てた「絵筆塚」があります。写真中央の大きな筆を模した「絵筆塚」には、「アトム・かっぱ」や「ドラえもん・かっぱ」を始めとして154人の漫画家による「かっぱ」のレリーフが張り付けられています。10月には絵筆への感謝を謳い「絵筆塚祭」が行われ、その時期、境内は漫画絵の行燈に彩られます。
菅原道真の生誕と命日が、いずれも25日であったことから、道真を主祭神としている神社では、25日を例祭としているところが多く、ここ「荏柄天神社」でも毎月25日に「月次祭(つきなみさい)」が取り行われています。そのほかにも、日ごろ使っている針を柔らかいお豆腐に刺して、普段の労をねぎらう「針供養」が2月行われます。
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」
この歌で有名な菅原道真を祀る「荏柄天神社」―希望する学び舎へ願いを捧げる季節の訪れとともに、境内には、「寒紅梅」や花の中心が青みがかった「古代青軸」など、さまざまな種類の梅の花が、報せが届く時期まで咲き誇ります。全国に名を馳せた「天満宮」に比すれば少し地味かも知れませんが、祈りはひそやかに捧げるものです。鎌倉幕府の守護を司った由緒ある「荏柄天神社」で、あなたの熱い、強い思いを捧げてみませんか?祈りは「天神様」の心に響き、願いは、きっと成就されることでしょう。
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(2024/12/3更新)
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