写真:古都の U助
地図を見る堂島アバンザの北東側にある「堂島薬師堂」は、モダンなデザインで一見するとオブジェかモニュメントのようにも見えます。ですがこの堂島薬師堂はとても古い歴史を持ち、推古天皇の頃、「東は玉造に四天王寺を作り、西の方洲の中に御堂を建立」との記録があるという歴史深い場所。それが今の堂島薬師堂のはじまりとされています。
別の古文書にも、聖徳太子が四天王寺を建立する際、船が難破し用材がこの地に流れ着いたためお堂を建立したとあります。近隣を行きかう船からこのお堂が良く見え目印となった為、やがてこの島を「堂島」と呼ぶようになったといわれています。
この地はもともと、堂島川と曽根崎川に挟まれた川の中州(島)で、江戸時代初期に豪商河村瑞賢によって曽根崎川が埋め立てられて、一帯は「新地」とよばれるようになりました。
今も堂島周辺には曽根崎新地、北新地といった地名や駅名が使用されています。
写真:古都の U助
地図を見る現在の堂島薬師堂は、平成12年に建てられた現在の堂島薬師堂はミラーガラス127枚を組み合わせて作られたもの。まるで宇宙船のようにも見え、周囲のビル街ともうまく調和しています。
お堂の周囲は、水の都とよばれる大阪らしく池が配され、その池には和のテイストと近代的なデザインが組み合わされた橋が架かり、お堂へのアプローチとなっています。池には蓮のオブジェや水掛け弁財天がまつられ、お堂の前には堂島薬師堂の歴史を記した案内板や、「合掌」をモチーフとした燭台アートが設置されています。
またお堂内は、本尊として中央に薬師如来、そして左に地蔵菩薩像、右に弘法大師像が安置されています。普段は扉の外からお参りすることになりますが、薬師堂の内部は畳敷きとなっていて、外観とのギャップもインパクトがあります。
写真:古都の U助
地図を見る戦後、毎日新聞社が増築した際、薬師堂は場所を移転した時期があります。場所は現在の薬師堂のすぐ東側。路地を少し入り込んだ場所にある為分かりにくいですが、距離はすぐ近くです。
その後堂島アバンザを建設するにあたり、奈良・薬師寺と地元の堂島薬師堂奉賛会の要請もあり、かつてあった場所(現在の場所)に再度移設されました。
ご本尊が元の場所にもどってからも、前のお堂だけは大切に保存され、現在は飲食店として使用されています。鳥居風のアーチをくぐり路地の奥へ入り込めば、外観はかつての薬師堂そのままに、ちょっと珍しい合鴨料理専門店の呑兵衛というお店です。
堂島薬師堂へは、大阪駅前西の交差点からヒルトン大阪の前を通り、四ツ橋筋を南へ歩いて堂島アバンザの西側まで行き、その後アバンザの東側にある薬師堂へ行く、という行き方がわかりやすいです。また、堂島地下街を経由すれば雨の心配もありません。
言われてみないとお堂だとはなかなか気づきにくい堂島薬師堂ですが、ぜひ一度間近で見て下さい。
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
古都の U助
旅とお出かけ、グルメとにゃんこが大好物です!目下の悩みは愛猫の出かけないでアピールと、食べ歩きでいつも嫁が勝手に好きなものを注文してしまうこと。。京都を中心に、様々な情報を発信できたら良いなと思ってお…
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索