写真:いしい ひい
地図を見る1769年から1823年の間に開かれたミッションは、最南端のサンディエゴから最北のソノマまで、計21箇所。中でも伝道本部として1771年に建てられ重要な役割を果たしたのが、カーメル・ミッション・バジリカ(San Carlos Borromeo del Rio Carmelo)です。
中心的指導者であった宣教師フニペロ・セラは、この地の温暖な気候と美しい海岸を多いに気に入り、ここを伝道本部としました。日干し煉瓦を使った温かみのある建物、そして中庭の噴水や花壇など、とても心癒される風情のミッションです。
その当時と変わらず今もカーメルのビーチは美しく、燦燦と降り注ぐ陽射しがいかにもカリフォルニアらしい場所。ミッションから徒歩15分ほどのカーメルのダウンタウンにはお洒落なショップやカフェが集まり、町歩きを楽しむ観光客であふれています。
写真:いしい ひい
地図を見る1776年、先住アメリカ人がのんびり暮らしていた集落に建設が始まった、サンフランシスコ・デ・アシス(San Francisco de Asis)。その後サンフランシスコの市名の由来となりました。ドロレスと呼ばれる入り江のほとりに造られたので、ミッション・ドロレスとも言われます。
写真は宣教師フニペロ・セラの像。どのミッションにも同様の像が建てられています。
時は流れ、1849年のゴールドラッシュでサンフランシスコの人口は一気に膨れ上がり、街はさらに変貌していきます。
壮大な外観の教会は、サンフランシスコの観光名所のひとつ。この教会があるミッション地区には、ゲイコミュニティとして有名なカストロストリートなどがあり、カラフルで活気あふれるエリアです。
写真:いしい ひい
地図を見るサンタクララ・デ・アシス(Santa Clara de Asis)は 1777年に建築が始まったミッションで、洪水や地震による崩壊と再建を繰り返しました。現在は私立の名門大学サンタクララ大学の構内に静かに佇んで、周辺のカトリック教信者や観光客が訪れる、癒しの空間。併設のローズガーデンも有名で、バラが満開になる4月から5月にかけては教会がさらに美しく彩られます。
このミッションがあるサンタクララの町には日系企業も集まり、たくさんの日本人が在住しています。NFLサンフランシスコ・フォーティナイナーズの本拠地リーバイス・スタジアムがあることでも有名です。
写真:いしい ひい
地図を見る聖書の重要人物である洗礼者ヨハネの名を冠したサン・フアン・バティスタ(San Juan Bautista)は1797年建築のミッション。同名の小さな田舎町にあり、ヒッチコックの映画「めまい」のロケ地に選ばれたことで、その名を不朽のものにしました。1958年の映画ですが、そのときと殆ど変わらない風景が現在も広がり、スペイン風のプラザに面した美しい教会とともに、街全体が州立歴史公園となっています。
ミッション見学とあわせて、周辺のミュージアムやダウンタウンのお店をのぞくのも楽しいですよ。
ちなみに「めまい」はサンフランシスコの観光地も数多く登場する映画。旅の予習・復習にどうぞ!
写真:いしい ひい
地図を見るサンフランシスコ・ソラノ(San Francisco Solano)は、1823年ソノマバレーに造られたミッション。翌1824年、ミッションの伝道師たちはこの地でブドウ栽培を始め、ワインが作られるようになりました。ソノマがカリフォルニアワインの発祥地と言われる所以です。ワインカントリーはミッションとともに発展したとも言えますね。
現在も、教会は観光客でにぎわうソノマプラザの一角に建ち、周辺にはワインのテイスティングルームやチーズ専門店、レストランなどが集まっています。
どのミッションも小さなミュージアムを併設し、スペインの威信をかけた伝道活動の歴史を知ることができます。それは、美しい自然の恩恵の中で平和に暮らしていた先住アメリカ人が、なかば強制的にキリスト教に改宗させられ、ミッション建設の労働力として酷使され、スペイン人が持込んだ伝染病により多くの人が亡くなった負の歴史でもあります。その後メキシコがミッションを一時的に支配しましたが、1850年、カリフォルニアはアメリカ合衆国の31番目の州になりました。
美しく壮大なミッションを訪れるとき、この地の複雑な歴史もまた、感じられることでしょう。
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この記事を書いたナビゲーター
いしい ひい
2008年、夫の転職にともなって始まった、アメリカ生活。最初はニューヨーク、続いてヒューストン、サンノゼ、シアトルと、西へ西へと移動して、2017年からニュージャージー州に住んでいます。転勤族はけっこ…
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