サンクトペテルブルグの歴史を語る「ペテロパヴロフスク要塞」

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サンクトペテルブルグの歴史を語る「ペテロパヴロフスク要塞」

サンクトペテルブルグの歴史を語る「ペテロパヴロフスク要塞」

更新日:2017/03/23 14:47

18世紀初頭、ピョートル大帝がロシア帝国の新たな都・サンクトペテルブルグを建設するにあたり、まず最初に取り組んだのが、外敵から街を守るための堅固な要塞を造ることでした。その後、要塞は監獄として使用され、現在は複合博物館施設として人気の観光スポットとなっています。今回はサンクトペテルブルグのはじまりの地、ペテロパヴロフスク要塞をご紹介しましょう。

要塞から政治犯を収容する監獄へ

要塞から政治犯を収容する監獄へ
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ペトロパヴロフスク要塞(Петропа́вловская кре́пость)は、ネヴァ川の河口に浮かぶ「うさぎ島」と呼ばれる小さな島を利用して作られました。ここはロシアとヨーロッパをつなぐ戦略的な要衝。要塞の建設が始まった1703年5月16日(現在の暦では27日)は、サンクトペテルブルグ誕生の日とされています。

しかし、実際に軍事要塞として使用された期間は短く、18世紀末からは政治犯の監獄として使用されました。
最初の囚人はピョートル大帝の息子、皇太子であったアレクセイです。父と政治的に対立していた彼は祖国裏切りの罪に問われ、父ピョートルの命によるはげしい拷問の末、獄中で亡くなりました。
その後、多くの思想家や革命家が投獄されますが、ドフトエフスキーやレーニンも一時、この監獄に収容されています。

そして、数多くの囚人の中でも有名なのが公爵令嬢タラカーノヴァです。彼女はエカテリーナ2世の時代に現れ、正当な帝位継承者であると主張しますが、女帝によって捕らえられて監獄に幽閉されてしまいます。そして、幽閉中に街を襲った大洪水によって牢で溺死したとされました。この伝説を絵画化したのが、モスクワのトレチャコフ美術館にある「公爵令嬢タラカーノヴァ」。コンスタンチン・フラヴィツキーの大作で、ベッドの上につま先立ち、絶望的な表情を浮かべる女性をドラマティックに描いています。実際には、彼女は洪水以前に病死したそうですが、帝位継承をめぐるミステリーと若く美しい女性の非業の死の物語は、今も多くの人をひきつけています。

金色に輝く尖塔 ペトロパヴロロフスク聖堂

金色に輝く尖塔 ペトロパヴロロフスク聖堂
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島のほぼ中央に建つのが、ペトロパヴロフスク聖堂(собор во имя первоверховных апостолов Петра и Павла)。
天をつらぬくようにそびえる尖塔が印象的な聖堂は、街のシンボル的な存在として親しまれています。サンクトペテルブルグの建設開始とと同じ1703年に着工され、1733年に完成しました。市内に残る数少ないピョートル大帝時代の建物の一つであり、サンクトペテルブルグの歴史の最初を飾る、記念すべき建物です。

塔の高さは122m。市内で最も高い塔で、先端に十字架と天使の像がついています。下から見ると小さく見えますが、実際には十字架は約6m、天使の像は約3mもあるのだそう。別売のチケットを買えば、この塔にも上ることができます。

式典用のホールとしても使われた豪華な聖堂

式典用のホールとしても使われた豪華な聖堂
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外観はシンプルな聖堂ですが、内部は大理石の柱や天井画、シャンデリアなどで荘厳されています。また、祭壇前のイコノタシス(イコンをとりつけた衝立)は、細部まで細かな彫刻をほどこして金箔を貼った見事なもの。こちらをご覧になるのもぜひお忘れなく。

そして、窓が大きく、堂内が明るいのもこの聖堂の特徴の一つ。このように外光を多く取り入れる造りは、ロシア正教の教会としてはめずらしいもの。これはこの聖堂が式典などを行う儀式用のホールとしても使用されたためといいます。そう思うと宮殿の大広間を思わせる豪華なシャンデリアも納得ですね。

歴代の皇帝たちが眠る墓所

歴代の皇帝たちが眠る墓所
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聖堂の一角には立派な石棺がずらりとならんでいます。
これらは歴代ロシア皇帝の棺。ピョートル大帝以降の14人の皇帝のうち12人の棺がここに納められています。胸像がおかれた棺がピョートル大帝のもの。また、緑の碧玉と赤い薔薇輝石を使った棺は、1881年に暗殺され、血の上の救世主教会創建のきかっけとなったアレクサンドル2世と皇后マリアのものです。

ところで、ここにあるアレクサンドル1世の棺の中身は実は空だといわれています。アレクサンドル1世はエカチェリーナ2世の孫にあたり、幼少時より女帝に養育され、父パーヴェルが暗殺されたことで帝位を継ぎました。しかし、父王暗殺の陰謀に関わり、生涯その罪悪感に苦しんだといわれます。そのため、彼は父と同じ墓所に眠ることを拒み、側近の手によってひそかに別の場所に埋葬されたとも、あるいは自らの死をよそおって姿を消し、シベリアで修道僧として死んだともいわれています。

水辺は市民の憩いの場

水辺は市民の憩いの場
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要塞、監獄と聞くとものものしく恐ろしげなイメージがありますが、現在の島内は全体が公園化されて、かつての司令官の館をはじめとする島内の建物は博物館として公開されています。博物館では街の建造の歴史やかつてのロシアの生活様式などが紹介されており、当時の監獄の一部も見ることができます。

また、島の周囲は市民の格好の水遊びの場となっていて、岸辺は夏場、多くの人でにぎわいます。ロシアの人びとは日光浴が大好き。
夏の日差しを喜び、短い夏を存分に楽しむロシアの人びとの暮らしを垣間見ることのできる光景です。

おわりに

島内には品揃えのいい大きなおみやげショップもあります。ショップの入口にはうさぎ島にちなんで、大きなうさぎの彫像が置かれていますから目印にして下さいね。
聖堂や博物館のチケットは聖堂前のチケットオフィスで。堡塁の上に上って対岸の景色も楽しむこともできます。

うさぎ島はサンクトペテルブルグ発祥の地であり、市内で最も古い史跡です。
「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」の中の一つとして世界遺産(文化遺産)にも登録されており、歴史好きの方にはぜひ訪れていただきたいスポットです。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/08/04 訪問

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