写真:村井 マヤ
地図を見る尾道市東久保町にある「海龍寺」は、正式には「真言宗泉涌寺派 転法輪山海龍寺」といいます。尾道水道を見渡せる高台の一番東側に位置するお寺です。尾道水道にかかる尾道大橋と新尾道大橋をもっとも近くにご覧になれる眺望です。海龍寺の裏山は岩山になっていて、登ることも出来ますよ。
さて、海龍寺は西国巡教をしていた奈良・西大寺の定證(じょうしょう)上人が浄土寺再興の際に、当時曼荼羅堂と呼ばれていたこの寺に滞在していたと伝わっています。その後、寛元3(1245)年にこの寺の別当職の備後大田庄の荘官和泉法眼渕信が定證上人に寄進。海龍寺と寺名を改めたのは、江戸時代の寛文2(1662)年のことでした。歴史あるお寺ですよね。
写真:村井 マヤ
地図を見る本堂には、ご本尊の「千手千眼観世音菩薩立像」が秘仏として御厨子の中に。鎌倉時代中期の作と伝わりますが、保存状態は大変良好です。観音様の光背下部分にある「迦陵頻伽(かりょうびんが)」の繊細で優美なさまが、観音様の豊麗で洗練された美しさを一層引き立てます。
観音様のお姿は、普段はご覧になれませんが年に一度、お正月の御開帳の折に、お目にかかれますよ。
ただし、2016年は特別な年で、お隣の浄土寺の「落慶並びに開創1400年記念」として行われる御本尊十一面観音様の御開帳と合わせて、海龍寺でも秘仏の御開帳がありますので、浄土寺と海龍寺の秘仏をご覧になれるチャンスです。春季は5月1日から6月19日までですので、ぜひこの期間に尾道旅行に行かれるのも良いでしょう。
お姿は拝見できませんが、観音様の手とつながっている“五色のひも”を手に祈れば、ぐっと仏様とのご縁が深まり、何か新しい発想やひらめきもありそうですよね。
写真:村井 マヤ
地図を見る写真左端の「釈楽道善男」と書かれた墓石が、人形浄瑠璃の創始者である植村文楽軒のお墓と伝わるものです。実は、お墓というより追善供養塔なのです。
海龍寺の縁起には、江戸末期に浜問屋の旦那衆が文楽の師匠を大阪から招いて余暇を楽しんでいたとあります。この海龍寺のお墓は、師匠の死後、旦那衆が追善供養で建立したとも書かれています。
真ん中には、義太夫語りの竹本弥太夫のお墓があります。願いをこめて撫でるとご利益があるとされる「お経塚」は一番右端です。
海龍寺では、とくに芸術や創作活動の上達祈願にご利益があるとされています。お経塚の撫で方ですが、両手で上部分を奥から手前に引き寄せるようにします。
写真:村井 マヤ
地図を見る海龍寺で、観音様や「お経塚」で技芸上達の祈願をしたあとは、お守りも購入しましょう。写真のお守りは、尾道市にアトリエを構える作家さんによるデザインです。
「技芸上達守」と、因島で江戸時代に栽培が始められた八朔をモチーフにした可愛いお守り「開運守」、その他珍しい木彫りのお守りも販売されています。窓口にお寺の方がおられないときもありますが、チャイムを押せばどなたか対応してくださいますよ。
写真:村井 マヤ
地図を見る写真が海龍寺の裏手にある「くさり山」です。四国石鎚山を模してつくられた岩山は、昔は修験道の行者の修行場でしたが、今ではどなたでも登ることができますよ。
写真の鎖は「壱の鎖」で、長さは29m61cmです。「壱の鎖」はちょっと頑張れば登れますよ。ちなみにこの鎖は「参の鎖」まであります。
頑張って登るとお隣の浄土寺の奥ノ院に辿り着きます。奥ノ院からの景色がまた絶景なのです。
帰りは、「観音の小道」を歩いて降りてこられるので心配しないで下さいね。
海龍寺は、「尾道七佛めぐり」で巡ることのできるお寺の1つ。(一社)尾道観光協会では、2016年の3月13日(日)、9月25日(日)に「お坊さんと巡る尾道七佛めぐり」が開催されます。3月のツアーはすでに定員に達したため、9月25日(日)が次のチャンス!毎回グレードアップしていくツアーをぜひ楽しんで下さい。
なお、七佛めぐりはツアーではなく個人で楽しむことができますよ。2016年1月より、尾道七佛めぐりをし、7ヶ寺すべての御朱印を集めると先着800枚限定でオリジナル手ぬぐいもプレゼントされますので、ぜひお出かけください。
この記事を書いたナビゲーター
村井 マヤ
1972年、宮崎県生まれ、5歳まで兵庫県尼崎で暮らす。その後熊本に。高校3年生まで熊本で過ごす。歴史が好きで、考古学を学びたくて別府へ。温泉生活を満喫。大学卒業後、広島でさらに勉強するため学生生活を送…
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