ワット・マハタートがいつ、どのように出来たのかは複数の説があります。一つは1369年にラーメスアン王が建てたというものです。また、1370年から約20年かけてボロムラーチャー1世が仏舎利として最初に手掛けたというものがあります。
更に他の説では、1350年以前のものであるというものまでありますが、いずれにしましても、アユタヤ王朝初期の重要な遺跡であることに変わりはありません。
アユタヤの象徴ともいえる砂岩で出来たこの仏頭は、1600年代中頃に胴体から地面に落ちたと言われています。その後、木の成長とともに根元にとり込まれ、現在の姿となったと伝えられます。
見事に組み込まれた仏頭は奇跡的に水平を保っており、自然とのコラボレーションで生まれたこの状態は、ワット・マハタートの入場口を入って右に進んだところで見ることが出来ます。
撮影の際にはカメラの位置を下げることが重要です。低い位置にある仏頭であるため、上から写真を撮らないのが礼儀となっています。
破壊された仏像が敷地内のいたる所にあります。アユタヤ王朝は1765年から2年間、侵攻してきたビルマ(ミャンマー)と泰緬戦争になりました。ここで敗れて王朝は約400年の歴史に幕を降ろします。この際にこちらは徹底的な破壊を受け、それが今でも無惨な姿で残されているのです。
胴体は周辺に散らばったものを集めて修復し、足りない部分は補うことで補修していますが、多くの仏像には頭がありません。
敷地内はかなり広く、見所がたくさんあります。観光地ではありますが、歴史ある遺跡であり、また仏像があることから世界遺産でありながら、信仰の対象にもなっているのです。
指定された場所から外れたり、敬意が感じられないような写真撮影をするなど、観光の乱れがタイでも懸念されています。大事な遺産を後世に残していく意味でも、ご注意下さい。
今でも初期アユタヤ時代(1351-1491)の建築様式を残す仏塔は当初、44mの高さであったと言われています。1633年の修復時、高さは50mまで増されました。その後のビルマ軍による侵攻で破壊されています。時代が下ってラーマ5世の治世である1911年に崩れていますが、直前に撮られた記録写真も残されています。
1956年の修復および発掘調査の際、宝飾品が出て来てそれらはチャオ・サン・プラヤー国立博物館に展示されています。
ここに限らず、遺跡群は許可場所を除いて上に上がることは禁止されていますので、観光の際は節度ある行動を心掛けましょう。
仏教国のタイにおいて、頭部が切断された仏像があることは国としても複雑なものがあるようです。しかしながら戦争の悲惨さを、後世に残そうとの意図からあえて残されているのです。
アユタヤ王朝初期の建築様式であり、木の根元で奇跡的に残っている仏頭と、破壊された仏像の数々を見ることが出来るワット・マハタートは、世界遺産アユタヤ観光では外せない場所です。
また、アユタヤはその他でも必見と言える見どころ、日本ではあまり知られていない穴場の観光地も。詳細は下記の関連MEMOに記載していますので、ぜひ旅行の参考として下さい。
この記事の関連MEMO
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
旅行ガイドを検索!
(2025/1/19更新)
- 広告 -