写真:いなもと かおり
地図を見る2015年「住みたい田舎ベストランキング」に2年連続で選ばれた長野県伊那市。春になると、満開の桜を見に約25万人もの観光客が訪れます。
2016年の高遠城址公園「高遠さくら祭り」期間は、公園開きとなる4月1日から4月30日まで。時間帯は午前8時から午後5時まで(最盛期は午前6時から午後10時まで)となっております。例年、駐車場には長蛇の列ができておりましたが、近年は渋滞緩和対策がおこなわれ交通規制やシャトルバスの運行によりスムーズにアクセスできるようになりました。
お祭りの屋台が出店し、夜間にはライトアップも行われるなど、1日中楽しめる抜群の桜鑑賞スポットとなっています。
日本気象協会によると2016年の開花予想時期は4月8日頃。過去の例を参考にすると、2014年が4月8日に咲き始め4月16日に見頃となりました。
写真:いなもと かおり
地図を見る高遠城址公園に咲く桜は「タカトオコヒガンザクラ」と呼ばれる品種で、ソメイヨシノよりも小ぶりで赤みのある花を咲かせます。
明治8年に、荒れた高遠城をなんとかしようと旧藩士達が馬場の桜(馬の姿が桜の花に埋もれて隠れたという)を移植したのが始まりで、現在約1500本の桜の木が園内に植えられています。
高遠町では、県の天然記念物でもあるコヒガンザクラを後世へ継承するために「桜憲章」を制定しました。町民全体で保護し、理解を深め、育成していくことを指針としています。
写真:いなもと かおり
地図を見る公園として整備された高遠城は、公益財団法人日本城郭協会の定める「日本100名城」に選定され、トリップアドバイザーでも「口コミで選ぶ!行ってよかった日本の城ランキング2014」で第9位に選ばれている観光地の城址です。
高遠城は1547(天文16)年に、武田信玄によって築城されました。1852(天正10)年、信玄の五男仁科信盛が織田信長の嫡男信忠に攻められ、壮絶な死を遂げた城としても知られています。その後は、徳川方の手に渡りますが1871(明治4)年の廃藩置県により廃城となりました。
廃城から4年後の1875(明治8)年には公園となり、1913(大正2)年には太鼓櫓が再建されるなど、現在は再び息を吹き返した高遠城を訪れることができます。
写真:いなもと かおり
地図を見る高遠城に現存の構築物はありませんが、見事な石垣、土塁(土を盛った防御壁)、空堀、曲輪(城を構成する区画)などがわかり、防衛力の高い城だった面影が残っています。
写真のような景色では、ついつい桜に見とれてしまいますが、地形に注目して下さい。
二の丸東面の空堀は、幅約15メートル、深さ約17メートルの規模を誇っています。空堀の底から見上げているのですが、人の背丈と比べるとその大きさがわかります。数百年前と比べて土が崩れて埋まってしまっていますが、かつての土塁はもっと高く、堀底はさらに深かったのです。
城は人の立ち入りを拒む防衛施設です。歩きにくいのも、登ったり降りたりするのも城だからこそ。高遠城址公園を歩いて、城の名残を探してみましょう。
写真:いなもと かおり
地図を見る日本さくらの会選定の「さくらの名所100選」の一つに選ばれ、青森県の弘前公園・奈良県の吉野山と共に「三大桜の名所」に選ばれている長野県の高遠城址公園。
春には多くの観光客で賑わう桜鑑賞スポットですが、見頃を見極めるのが難しいところです。その年の気候によって影響を受けるため、咲き始めから散り終わりまでの期間も変化してきます。
高遠さくら祭りのHPからは、過去五年間分の開花時期と見頃が一覧でわかるようになっており、日本気象協会とウェザーニュースによる2016年の開花予想と見頃が予想されています。参考にしたい方は関連MEMOにリンクしたサイトにてご確認ください。
「天下第一の桜」はいかがだったでしょうか?周辺にも春日公園、伊那公園といった桜の名所が点在しています。
歴史も桜も楽しめる高遠城で、美しすぎるピンクのカーテンに包まれて桜の季節を満喫してみませんか?
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
いなもと かおり
年間120城をめぐる城マニア。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。小学生の時に古墳に目覚め、歴史の道へ。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は700ほど。日本城郭検定1級、国…
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