勝尾寺の起源はとても古いものです。藤原致房の二人の子供である善仲と善算が、草庵を築いたのが最初といわれます。神亀4年(727年)とされていますので、約1300年も昔のことです。
桓武天皇の異母兄にあたる開成が草庵を開いた二人に師事し、仏門に入ったとされます。そして勝尾寺の前身である弥勒寺を建立。平安時代になると山岳信仰の拠点として、この地域の中心となっていきます。
勝尾寺の命名の元となる話があります。元慶4年(880年)、清和天皇の病気平癒祈願が行われ、天皇の病気に打ち勝ったことから、王の病気に勝つ寺、すなわち勝王寺となりました。しかしながら、王の文字を使うのは恐れ多いと「尾」に変えて以来の寺号となっているのです。
また寺は、一ノ谷の合戦で焼失したとされます。その後、文治4年(1188年)に源頼朝の命により再建され、薬師堂は当時のものが残されています。山門と本堂は豊臣秀頼により再建されたものです。
たくさんのダルマは、願いが成就した人たちが奉納したもの。左目(向かって右側)に目玉を書き込み、願いが成就したら右目(向かって左側)に目玉を書き込むのです。
しかしながら、七転び八起きのダルマは、まずは「己に勝つ」が出発点となっています。どのような願い事も、単に祈るだけで自分に甘いようでは成就せず、自らが努力することで神仏の加護がやってくるということ。大願成就に必要なのは、自らに自信を持ち、自分を信じることと勝尾寺では教えます。
初代住職が瞑想中に神秘的な力を感じ取り、お堂を作ります。それ以来1300年の間、絶大な力を誇る厄払いの三宝荒神として信仰の対象となってきました。全国からのお参りの人が途絶えることはありません。
神前で鈴を鳴らし、「おん けんばや けんばや そわか」という真言を三回唱えます。
法然上人第五番霊場とされるお堂が二階堂です。鎌倉期の法然は、ここに3年10カ月の間居住しました。念仏三昧の日々を送り、夢の中に現れた善導大師によって、浄土宗本基の戒を授けられたと言われています。
こちらは勝尾寺本堂を過ぎて、本堂右手奥の坂を上って行くとすぐにあります。二階堂前からは周囲を一望出来るので、素晴らしい眺めを楽しむことが出来ます。
境内には他にも様々な場所があります。池に浮かぶ弁財天、美しき多宝塔。水かけ観音に隣接する大師堂では空海が祀られており、四国八十八か所の御本尊はそれぞれのお寺から持ってきた砂が納められていますので、ここを巡ることで八十八箇所巡りとなります。
参拝出口にはレストランとお土産コーナーがあります。多くのダルマ関連商品やお菓子類も販売されており、無料休憩所としても利用可能です。もちろん、お守りも多数!
歴史に名を残す多くの人たちが、信仰心を持って関わって来た真言宗「勝尾寺」で、あなたも勝運を引き寄せてみませんか?
最後に勝尾寺には阪急電車の箕面駅から、箕面大滝を通って歩いて行くことが可能です。トレッキングをしながらの観光はいかがでしょうか。その他、大河ドラマの主人公となった真田幸村の終焉の地や造幣局観光情報を含め、詳細は関連MEMOをご覧ください。
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(2024/11/6更新)
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