ライオンズ祈願寺!所沢・狭山不動尊は“お寺のテーマパーク”

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ライオンズ祈願寺!所沢・狭山不動尊は“お寺のテーマパーク”

ライオンズ祈願寺!所沢・狭山不動尊は“お寺のテーマパーク”

更新日:2016/03/27 16:24

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 武蔵国ナビゲーター、歴史探索ブロガー

プロ野球ペナントレースの開幕前、西武ライオンズが毎年優勝祈願に訪れるのが、埼玉県所沢市の『狭山不動尊』。
西武ライオンズのお膝元で、西武ドームを始め西武園ゆうえんち、狭山スキー場などの一大レジャーランドにある狭山不動尊は、祈願寺という顔の他に“お寺のテーマパーク”という異名があり、それは西武グループ所縁の寺院であるからなのです。
今回は、「西武の西武による西武のための狭山不動尊」をご紹介します。

西武グループなくして語れない由緒

西武グループなくして語れない由緒

写真:Naoyuki 金井

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太平洋戦争の空襲により荒廃した増上寺から、西武鉄道の創業者堤康次郎氏が徳川家霊廟部分を買収したことが由緒の始まりで、買収した増上寺の境内が、現在の東京プリンスホテルとザ・パークタワープリンス東京です。そして買収した境内の建造物は、昭和26年西武鉄道により埼玉県所沢市に造られたテーマパークの草分け的存在である『ユネスコ村』に移設され、世界のランドマークと共に展示・保存されました。

昭和50年に狭山不動尊がユネスコ村の一角に建立される際、増上寺から移設された建造物と、同時にユネスコ村にあった全国各地の寺院の建造物を利用して開山されたのです。
正式名称は『狭山山不動寺』で、開基は西武鉄道グループの元オーナー堤義明氏であることから、まさに西武グループの狭山不動尊と云えるのです。
そして狭山不動尊前に西武ドーム球場ができたことから、毎年西武ライオンズが必勝祈願に参拝しているのです。

二代将軍秀忠夫妻所縁の三つの門

二代将軍秀忠夫妻所縁の三つの門

写真:Naoyuki 金井

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西武ドーム球場を望む正門が、増上寺から移設された『勅額門』。
この勅額門は、増上寺境内の台徳院(二代将軍徳川秀忠)廟に建てられていたもので、三代将軍家光が建立しました。台徳院の霊廟は、現在のザ・パークタワープリンス東京と芝公園の敷地ですから、大変広大な霊廟でした。

《台徳院》と書かれた扁額が、江戸時代の後水尾天皇の筆によるものから勅額門と呼ばれるようになり、見事な彫刻が往時の絢爛さを物語る建造物として重要文化財に指定されています。
この他、同じ台徳院廟にあった『御成門』、更に秀忠の正室で、三代将軍家光の生母である崇源院(江)廟所にあった通用門『丁子門』も移設され、いずれも重要文化財に指定されている豪華な“三門”なのです。

関西からも由緒ある二つの塔

関西からも由緒ある二つの塔

写真:Naoyuki 金井

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境内で一際華麗に映るのが『第一多宝塔』。
多宝塔とは、仏塔での形式のひとつで二層になった塔婆のことで、代表例として滋賀県大津市の石山寺の多宝塔などが挙げられます。

この第一多宝塔は、大阪府高槻市梶原にある畑山神社に建てられていたもので、1607年の墨書がある桃山時代の建造物であることから、埼玉県の有形文化財に指定されています。
この畑山神社、桃山時代の創建時は永福寺と呼ばれる高槻市最古の由緒ある寺院で、その由緒ある多宝塔を昭和35年にユネスコ村に移築させたのですから、当時の西武鉄道のパワーは並々ならぬものだったのです。

“第一”と云うくらいですから“第二”もあるのは言わずもがなで、『第二多宝塔』は聖徳太子の創建と云われる兵庫県の由緒ある椅鹿寺に建立されたものを移築したもので、こちらは室町時代のものと推定されています。

堤家の力が窺える絶景の境内内境内

堤家の力が窺える絶景の境内内境内

写真:Naoyuki 金井

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見所の多い境内ですが、ある意味で一番の見所と云えるかもしれないのが『羅漢堂』。
ここは柵があるので入ることはできませんが、柵の間から眺めることは可能で、その荘厳勇壮な眺めは時が経つのも忘れそうなほどです。

通常は開きませんが、境内内境内とも云える柵に囲われたエリアの山門にあたるのが『羅漢堂山門』で、昭和29年に東京虎ノ門の元田中平八邸から移築した門です。田中平八氏とは“天下の糸平”と呼ばれ、伊藤博文など時の為政者とも親交のあった明治の実業家です。
また、境内内境内には沢山の燈籠が並んでいますが、こちらは増上寺から移設された76基の『唐金灯籠』で、全国の大名から台徳院(秀忠)霊廟に寄進された貴重なものです。
更に『羅漢堂』は、明治の元勲井上馨邸にあった還暦祝賀に建てられた堂宇で、奈良二月堂の経堂を模倣したものと云われています。

消えた石灯籠は西武の功績

消えた石灯籠は西武の功績

写真:Naoyuki 金井

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境内のあちらこちらで見かけるのが『石灯籠』。
増上寺には全国の大名から寄進された石灯籠が、最多時1,000基を超えたと云われています。しかし明治以降、関東大震災や大戦により一部の石灯籠が損傷、消失してしまい、残ったものは先の三門同様、昭和52年までに西武グループに寄進されたのです。

寄進された石灯籠は西武グループから更に寄進され、現在その寄進先は公表されていませんが、港区教育委員会の調査では北海道から静岡までのエリアで確認されたと云われています。そして今やこの増上寺の“消えた石灯籠”は愛好家の探索の的となっており、ある愛好家の調査では2015年12月6日現在647基が確認されており、増上寺には38基しか残っていない石灯籠が、ここ狭山不動尊には53基も残されており、一ヶ所としては最多の石灯籠を保存している貴重な寺院なのです。

最後に。。。

見所はこれだけではありません。
長州藩主毛利家の江戸屋敷に建てられていた『不動堂総門』、滋賀県彦根市古沢町の清凉寺の経蔵だった『弁天堂』、奈良県興福寺から京都府高田寺を経由して移築された『鐘楼堂』、奈良県極楽寺境内に建立されていた柿本人麻呂の歌塚堂だった『大黒堂』、奈良県十津川桜井寺の『桜井門』、そしてユネスコ村で孔子廟として展示されていた『康信寺』など、世界のランドマークのユネスコ村が、現在ではまるで寺院のテーマパークとなっているのです。
西武ライオンズファンならずとも、西武ドーム球場や西武園ゆうえんち、狭山スキー場などに来られたら、是非、狭山不動尊を見学してみてください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/01/23 訪問

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