アユタヤ王朝はラーマーティボーディー1世(Ramathibodi I別名:ウートン王 King Uthong 在位 1351年−1369年)により創設されました。
1387年、ラーマーティボーディー1世の息子であるワレスワン王(King Somdet Phra Ramesuan)により建立されたのがこの「ワット・プーカオ・トーン」であり、とても古い歴史を持っています。ワレスワン王は、アユタヤ王朝2代(在位 1369年−1370年)及び5代(在位 1388年−1395年)の二度、王となっています。
塔は上部まで上がることが出来ます。そこから遠くまで一望でき、アユタヤの美しさを改めて感じることが出来ます。
1956年に仏歴25世紀を記念して、最上部に重さ2.5kgの黄金の珠が取り付けられました。それ以降、黄金の仏塔寺院と呼ばれています。
なお、メインの階段があるのは塔の反対側です。上に上がって正面側に回ると、大きな銅像が見えます。その像はビルマとの戦いに勝利した馬にまたがるナレースワン王((King Naresuan 別名:サンペット2世 在位1590年−1605年))ですが、タイの三大王の1人と言われています。
同じくアユタヤにある仏塔のワット・ヤイ・チャイ・モンコン(Wat Yai Chai Mongkon)を建てたナレースワン王ですが、このワット・プーカオ・トーンの高さに負けないようにしたとされています。しかしながら80mのワット・プーカオ・トーンに対し、72mと少し及びませんでした。
塔の最上部まで上がると、正面側(ナレースワン王の銅像側)に扉があり、その奥に進むことが出来ますが、頭上はかなり低くなっていますので十分に注意をしましょう。その内部ではたくさんの金箔が貼られたガラス越しに、他では見ることがほとんど無い「真っ赤な仏像」がありますので、必見です。
その後ワット・プーカオ・トーンは、1569年のアユタヤとの戦いに勝利したビルマ(現ミャンマー)のバイナウン王により、ビルマ様式に建て替えられてしまいました。
更にその後、ナレースワン王(銅像の王)がビルマとの戦いに勝利し、仏塔はタイ様式に戻されました。ナレースワン王は50バーツ紙幣に描かれ、また、タイの国技であるムエタイの創始者とも言われています。
最終的に現在のワット・プーカオ・トーンは、1754年に造られたものです。このように幾度もの変更が加えられ現在に至っています。
階段は段数が多い上にかなり傾斜がありますので、足ともには十分に注意をしましょう。また、濡れている場合は滑りやすいので、こちらも留意下さい。
ワット・プーカオ・トーンは古い歴史を持ち、またアユタヤの中でとても珍しい白い仏塔であるにも関わらず、通常の観光コースに入れられることが少ない「穴場」です。
それでいながら、市街地からさほど遠くない場所にありますので、この機会に行ってみることをお勧めします。
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(2024/10/12更新)
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