まずは石垣が見事な大里地区へ。この付近はかつて陣屋(役所)があったところです。石垣は海岸から運ばれた丸い石を積んだもので、玉石垣といわれます。江戸時代に島へ流罪となった技術者によって伝えられたとされます。樫立地区の服部屋敷跡付近にも玉石垣が比較的大きな規模で残っていました。服部家は幕府の御用船を管理していた家柄です。島の石垣はこういった玉石垣の他に溶岩を使った石垣もあります。火山島ならではの石垣です。
大里地区の「ふるさと村」には八丈島の古い民家が保存されています。ここでは八丈島の屋敷構をひととおり見ることができますが、写真のような「高倉」が独特です。こういった建物は沖縄や奄美などでも見ることができます(もちろん構造などに違いはあります)。遠い地域ですが黒潮でつながっているんです。周辺の集落にも現役で使われている高倉があったので(さすがに茅葺はなくなっているようですが)、集落を散策して探してみて下さい。普通に島の人が生活している場なので、勝手に敷地に入ったりしないように気をつけて下さい。高倉は八丈島歴史民俗資料館にも2棟移築されています(片方は都指定の文化財)。
八丈島では古くから荷物の運搬、交通手段、肥料の採取、牛乳の生産のために牛が飼われていて、放牧も行われていました。火山島なので土地がやせてはいたものの、飼料になるマグサなどは育っていたのです。大正時代には酪農の島としての最盛期をむかえました。写真は八丈富士の中腹にあるふれあい牧場で撮ったものですが、高所にあるので素晴らしい景観が臨めます。
南の島でしかも火山島なので、島で見られる植物もちょっとかわっていて、農産物としてはフェニックスロベレニーなどの花卉園芸品が栽培されています。八丈島の地質と気候をうまく利用した産業です。アロエの栽培なども八丈島には適しているらしく、島の各所でアロエを見ることができます。アロエは薬用植物としても利用されています。写真は大越地区のアロエ園です。12月から1月には赤い花が咲きます。
八丈島の伝統的な工芸品に黄八丈があります。名前に黄の字を含んでいるけど、黒色、樺色、黄色でできた草木染の織物です。古くから(室町頃から?)貢租されていて、貢物の検査規格が厳しくなったことで複雑な柄になったとか。草木染というと普通は色合いの淡いものですが、黄八丈では作業工程の数が膨大なので鮮やかな色が実現できています。黄八丈の取り扱い店舗は空港の他、島内の各所にあるのでいくつかまわってみるといいと思います。工房の見学や手織の体験などもできます(詳しくは観光協会のサイトなど)。
というわけで、八丈島の歴史と文化をテーマに紹介してみました。こういうテーマの旅なので、八丈島歴史民俗資料館にはぜひ行ってみて下さい。民俗資料はかなり充実しているし、建物も昭和初期に建てられた八丈支庁庁舎を利用したもので趣があります。それと、八丈島の南国らしい独特の雰囲気を満喫するには車で島をぐるっとまわってみるのがいいです。八丈島のレンタカーは比較的安いのでおすすめです。
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(2023/12/8更新)
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