織田信長公を祀る京都・船岡山「建勲神社」の美しい桜と東山の眺望!

織田信長公を祀る京都・船岡山「建勲神社」の美しい桜と東山の眺望!

更新日:2016/02/29 19:16

古都の U助のプロフィール写真 古都の U助 ブロガー
比叡山や大文字山の眺望も素晴らしい京都の盆地北部にそびえる船岡山には、明治時代に創建された織田信長公を祀る建勲神社(通称けんくんじんじゃ、正式名称たけいさおじんじゃ)があります。
境内は船岡山の山頂近くにあって、晴天時は比叡山や大文字山はじめ東山と町並みの眺めが抜群です!また、春は大鳥居近くのソメイヨシノや、石段を登った境内に紅枝垂れ桜などが咲き、とても美しく必見です!

建勲神社「大鳥居」

建勲神社「大鳥居」

写真:古都の U助

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京都市北区にある標高112メートルの船岡山には、その山頂近くに明治2年の明治天皇の御下命により創建された「建勲神社」があります。
建勲神社は織田信長公を祭神とするお社で、船岡東通りに面して高さ7.2mの「大鳥居」が建っています。台湾阿里山産の檜を用いた立派な大鳥居は、入るとすぐ真正面に朱鳥居の並ぶ石段があり、登っていくと末社の義照稲荷神社があります。
また、大鳥居をくぐって左手へ行くと東参道があります。
東参道のふもとあたりはソメイヨシノの木が多く、春は桜の穴場の名所となっています。

船岡山からの眺望

船岡山からの眺望

写真:古都の U助

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建勲神社の境内からの眺めは素晴らしく、途中の参道からも京都盆地の町並みや比叡山、大文字山などが良く見えます。
建勲神社の本殿までは100段ほどの石段が続きますが、麓の一帯は多くのソメイヨシノの木がある為、春は桜越しに見る光景が素晴らしいです。

船岡山は、その姿が海に舳先が突き出しているように見える、ということから名が付いたといいます。
かつて聖徳太子がこの地を訪れた際には、付近を見渡して将来皇城の地になると予言したと文献にあり、清少納言はその作品、枕草子に丘は船岡‥と書き記しています。
また、応仁の乱の際には西軍の陣地が置かれ、以来周辺(主に船岡山の南部)で西陣の名称が使われるようになりました。

「敦盛」歌碑

「敦盛」歌碑

写真:古都の U助

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貴賓館の南方、表参道沿いには「敦盛」の歌碑があります。
能や歌舞伎の原型といわれる幸若舞(こうわかまい)は、織田信長が特に好んだ芸能で武士の悲哀を描いた題材が多く、なかでも「敦盛」は普段から口癖のように歌っていたと信長旧臣の太田牛一著による「信長公記」にも書かれています。
時代劇でも桶狭間の合戦への出陣に際し、織田信長が「敦盛」を舞うのはお馴染みのシーンの1つですね。

貴賓館周辺の桜

貴賓館周辺の桜

写真:古都の U助

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建勲神社は創建当初、東参道を少し上ったところに社地がありましたが、明治47年市中を見渡す山頂付近に移転されました。
参道と同じく貴賓館周辺も、登ってくると大文字山の眺めが美しいです。
建勲神社の貴賓館は、入母屋造桟瓦葺の近代和風建築で平成20年に国の登録有形文化財に指定されています。
その他に建功神社では拝殿、神門、本殿など多くの建物が国の登録有形文化財に指定されています。

建勲神社「神門」

建勲神社「神門」

写真:古都の U助

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建勲神社の神門です。通常は立ち入れませんが、この神門の奥に本殿があります。
建勲神社は織田信長公を主祭神に、その子であり後継者であった信忠卿も配祀しています。

信長公に比べ信忠卿は若干知名度が低いようですので、少しご紹介しますと、彼は石山合戦、伊勢長島攻め、長篠の戦い、信貴山城の戦い、岩村城の戦い、武田氏を滅亡させた甲州征伐など多くの戦に出陣し、戦功をあげました。
信長からもその才能を認められ、天正4年(1576年)11月には織田家の家督と美濃東部と尾張国の一部を譲られ、岐阜城主となっています。
本能寺の変の際は京都洛中の妙覚寺で知らせを聞き、逃げるチャンスもあったとされますが守りの堅い二条城へ入り、誠仁親王らを逃がした後籠城しますが多勢に無勢、ついに自害して果てたということです。

船岡山といえば

建勲神社の北側には大徳寺や今宮神社が、西側には船岡山公園が広がり、ツツジや萩、藤棚がある他、8月16日の五山の送り火の際は鳥居形以外の大文字、左大文字、船形、妙法が見える人気の鑑賞スポットなっています。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/04/04 訪問

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