写真:泉 よしか
地図を見る古墳とは3世紀から7世紀にかけて築かれた権力者の墳丘、すなわち土を盛ったお墓ですが、中でも観光名所としてよく知られた古墳が奈良県に多く存在します。ここ、明日香村の石舞台古墳は、日本最大級の方墳としてその中でも特に有名ですが、実は桜の季節が凄いんです!花見の名所としても覚えておいて絶対損はありません。
巨石を組み合わせた石舞台を中心に芝生の広場が作られていて、まるで円を描くようにソメイヨシノが植えられているのです。これが春に満開の花をつけて、石舞台を縁どります。それは見事な眺めです。
それでは入場料を払って、古墳の近くに寄ってみましょう。
写真:泉 よしか
地図を見る千年、二千年と姿を変えずに残る巨石と、毎年毎年新しい花を咲かせては散る桜。なんともファンタスティックな光景ではないでしょうか。
この石舞台古墳が誰のお墓であったかは諸説ありますが、一番有力なのは蘇我馬子の墓であるという説です。蘇我馬子という人物は、聖徳太子の妃の父、すなわち聖徳太子の義父であり、また別の娘も崇峻天皇に嫁がせていますから、時の天皇の義父にもあたるわけです。外戚として蘇我一族は当時大変な権力を有していたことがうかがえます。
しかしそんな蘇我一族の繁栄も、馬子の死後、乙巳(いっし)の変で終わりを告げます。馬子の孫の蘇我入鹿は中大兄皇子、中臣鎌子らに暗殺され、その父であり馬子の子である蘇我蝦夷も自害しました。
写真:泉 よしか
地図を見るところで古墳と言えば大山古墳や高松塚古墳など、こんもりと土が盛り上がっている状態をイメージしますよね。なのに石舞台古墳は石室がむき出しです。もちろん発掘され、復原されて今の形になったわけですが、記録に残されている当時から、既に盛り土の上部ははがされて石室の一部が露出していました。何故でしょう。
これも一説には蘇我馬子の横暴さが反発を呼び、後世、墓が荒らされたとも言われています。しかし本当にそうなのでしょうか。歴史は勝者が残します。クーデターで一族郎党が滅びた蘇我一族の真実は、今となっては誰も知る由がありません。
石舞台古墳は中に入ることができます。ひんやりとした地下の玄室に立ち、岩の隙間から差し込む日差しを見ていると、なんとも不思議な感慨に囚われるかもしれません。
そうそう、桜の開花に合わせて石舞台及び周辺園路のライトアップが行われます。この幻想的な光景はお花見の季節にしか見られません。浮かび上がる夜桜と石舞台古墳はきっとあなたをいにしえの世界に誘ってくれるでしょう!散りゆく桜の儚さに重ね合せて、古代のロマンに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
石舞台古墳は明日香村の国営飛鳥歴史公園・石舞台地区にあります。アクセスは近鉄飛鳥駅または近鉄橿原神宮前駅から、レンタサイクルあるいは明日香周遊(赤かめ)バスが便利です。
飛鳥駅前の飛鳥総合案内所「飛鳥びとの館」で飛鳥王国パスポートを購入しておくと、石舞台古墳入場料ほか、各種観光施設の割引が受けることができてちょっぴりお得かもしれませんよ!
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(2024/12/14更新)
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