見逃せない!鹿児島市街に佇む近代建築3選

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見逃せない!鹿児島市街に佇む近代建築3選

見逃せない!鹿児島市街に佇む近代建築3選

更新日:2016/03/05 19:09

小谷 結城のプロフィール写真 小谷 結城 国内旅行業務取扱管理者、京都検定2級、温泉ソムリエ、日本城郭検定2級、国内旅行地理検定2級

主に薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)によって成し遂げられたといわれる明治維新。西洋を手本に殖産興業を行ったことから、近代化という名の西洋化が中央から地方へと波及してゆきます。無論、その波はかつての薩摩である鹿児島にも及びました。その象徴的なものが行政施設です。西洋風のいわゆる擬洋風建築、近代建築と呼ばれるものです。

鹿児島市街では、今もこうした建物が街の中で異彩を放ち、歴史を漂わせています。

大正生まれの旧鹿児島県庁舎「県政記念館」

大正生まれの旧鹿児島県庁舎「県政記念館」

写真:小谷 結城

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まずはこちら。鹿児島県の県政記念館になります。大正14(1925)年に鹿児島県庁舎として建設され、平成8(1996)年に現在の庁舎に機能が移転されるまで、この瀟洒な建物が県庁として使用されていました。現在は、かつての敷地内に正面玄関と中央階段部分のみが残されています。

鹿児島で初の本格的鉄筋コンクリート造であり、3階建て。かつては、これを玄関にして巨大な口の字型となっていました。設計は曽禰中條建築事務所、施行は合資会社岩崎組、家具装飾は高島屋が担当。建築様式はネオ・ルネサンス様式です。

玄関車寄せでいかにもずっしりとした重みのあるポーチを力強く支える双柱は、ルネサンス時代によく使われた装飾のないトスカナ式です。続いて2階には、渦巻状の柱頭が特徴的なイオニア式の柱を重ねており、古代ローマ風の神殿のような威厳が醸し出されています。この威厳が力強い鹿児島県政を推進する意気込みのようでもあります。

窓は半円アーチか長方形のフランス窓を採用し、3階部分には盾や壺のようなモチーフの装飾が施されています。一部に瓦屋根を葺いて西洋の模倣ばかりで終わっていない、ニクい演出が見られるのも良いところでしょう。

資料館の内部へもどうぞ

資料館の内部へもどうぞ

写真:小谷 結城

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館内へは自由に入ることができます。よく磨かれた美しい大理石の床が窓からの光をよく反射させており、柱にも重厚感が感じられます。階段はルネサンス時代によく造られた、吹き抜けに直線的な階段を折り返す吹き抜け階段です。

館内1階・2階の展示室では「県政のあゆみ」「県庁舎の変遷」「旧県庁舎本館の概要」をパネルや映像等を用いて紹介しており、往時の建物もこちらで見ることができます。また、2階には知事室を使用した洋食レストラン「ビストロ・ドウ・レヴ」も営業。歴史あるクラシカルな趣の中で美食に舌鼓を打つことができるのも貴重です。

面白い建物はエピソードにも事欠かず「鹿児島市中央公民館」

面白い建物はエピソードにも事欠かず「鹿児島市中央公民館」

写真:小谷 結城

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県政記念館より国道を南へ数分歩くと、続いて鹿児島市中央公民館があります。こちらは昭和2(1927)年に公会堂として建設された鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建ての建物です。

これまでの鹿児島市は劇場で集会を行っていました。しかし、手狭だったこともあって大正期に公会堂建設を用意。昭和天皇のご成婚を機に記念事業として晴れて施工に至ったようです。なお、昭和20(1945)年に戦災を受けたことから4年後の昭和24(1949)年に復旧工事が行われ、これを契機に現在同様「中央公民館」と改称しました。

粗く仕上げられた洗い出しのクリーム色をした外壁からはスパニッシュ様式を連想させられ、玄関上の重厚なピラスター(壁面と一体になった柱状構造)やシンメトリーの構造からはルネサンス様式が彷彿とさせられますが、S字曲線を頭部に用いたオジーアーチの窓はゴシック様式後期の特徴。特定の建築様式にとらわれていない面白さがあります。

設計は片岡安。東京駅の設計で知られる辰野金吾の弟子であり、辰野とともに大阪で設計事務所を設立した人物としても知られます。辰野・片岡建築事務所の設計として著名なのが大阪市中央公会堂です。当初、公会堂として建てられたこの建物は、これを参考にしたものと言われています。

完成当初は九州一との声もありました。そのため、九州各地より視察があり、熊本や別府、都城にも公会堂が建てられるきっかけとなりました。

日本近代建築史の序幕を語る「旧鹿児島紡績所技師館」

日本近代建築史の序幕を語る「旧鹿児島紡績所技師館」

写真:小谷 結城

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中心市街から離れました。最後の建物は繁華街より北東に約4キロ。仙巌園周辺にあります。薩英戦争によって壊滅的被害を受けた集成館事業を再興させるべく、イギリスから紡績技師たちが招聘されました。この建物は、彼らの宿舎として慶応3(1867)年に建設されたものです。

木造2階建て、1階は石畳のベランダが廻らされており、2階はサッシ窓が取り付けられた回廊が備わります。正方形をしていますが、正面中央のみ八角形を半分に切り取ったような形に突出しており、これが建物の単調さを崩しています。また、外観は見ての通りの西洋風ですが、屋根裏の小屋組は和小屋の方法を採用し、屋根自体も瓦葺きの宝形造りになっており和洋折衷の建物です。

築年は前述したように明治期以前の慶応年間。明治維新以前です。鹿児島で貴重なのはもちろんのこと、日本に残る数少ない初期の擬洋風建築の1つとして非常に貴重な建物なのです。技師たちが帰国してからは、西南戦争の仮病院、鹿児島学校、旧制第七高等学校(鹿児島大学の前身)の教官室を経て現在に至っています。

鹿児島で積み重ねてきた幾多の過去に思いを巡らせながら眺めたい建物です。

鹿児島には貴重な近代建築が目白押しです

いかがだったでしょうか。鹿児島で近代建築めぐり。県政記念館や鹿児島市中央公民館の周辺には、昭和12(1937)年竣工の鹿児島市庁舎本館や同年竣工の南日本銀行本店、明治16(1883)年の鹿児島県立博物館考古資料館(旧興業館)などまだまだ一目の価値ある建物が点在しています。

旅先の街歩きを楽しみながら、しばしこうした建物を眺め、必死になって西洋を吸収しようとした往時の日本の姿に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。

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