百名白樽はこの地の先祖として大事にされている人物です。百名白樽夫婦は、フェリーで到着する徳仁港付近に渡島をしてきて永住したと言われます。「久高殿」は近くの「外間殿」と合わせてノロ(祝女)が出た家で、通常は島の中で重要な祭祀場となっています。ノロとは、祭祀を司る女性聖職者のことです。
「久高殿」は、百名白樽と娘のノロである多留加那が神を祀ったことに始まり、ここで島の発展繁栄を願ったのです。
第一尚氏七代目の王である尚徳王が来島した際、大里家のノロ、クニチャサに一目ぼれし長い間逗留しました。その間に首里城で革命がおこったとの情報が入り、急ぎ戻ろうと船に乗ります。しかしながら漁師から、既に金丸(後の尚円王。第二尚氏王統の初代国王)が王位となったと聞かされ、海に身を投げたと伝えられています。
「大里家」には尚徳王が使用していたと言う金の箸が残されていましたが、戦争徴用された経緯があります。久高殿の後ろの森も祭祀場であり、イザイヤマと呼ばれています。
なお、第一尚氏は尚思紹王を初代とし、合計で七代(永楽4年(1406年)−成化5年(1469年))続いた琉球最初の統一王朝です。
琉球石灰岩が積まれた低い壁のある道を入り、正面の屏風(ひんぷん)を迂回して敷地内に入ると、建物は8畳ほどの広さの中に祭壇が設けられています。見学は自由です。道から建物までは沖縄らしさを十分に残す、美しい作りとなっています。
美しい海が見える「伊敷浜」は百名白樽夫婦が、豊かな食物と子孫繁栄を祈願した場所とされます。祈願していると沖から黄金の壺が流れてきますが、何度取ろうとしても再び戻され取ることが出来ません。そこで夫婦は川で身を清め、白衣に着替えて浜で待つと、今度は黄金の壺を取ることが出来たのです。中には七種の種が入っており、そこから島は豊かになったという伝説が残されています。
白い浜辺に美しい海岸線が広がり、ここで過ごす時間は沖縄の離島の魅力をたっぷりと味わえることでしょう。
星砂の浜として有名なウパーマは、観光地としても人気がある場所です。星砂を見つけるにはちょっとしたテクニックがあり、手を少し濡らして砂を取り、軽く押しつけると手のひらに星砂が残って見つけられるというのです。
なお、浜の近くに小さな売店があり、ここで瓶に入った星砂を購入することも出来ます。
島の中央付近で西側にあるのが男子禁制のフボーウタキ(クボー御嶽)です。男子禁制ですが、現在では女性であっても一般の人は入ることが出来ません。この場所は、この島に降りた女神である沖縄の創世神・アマミキヨが造った七つの御嶽の一つとされています。
御嶽手前の石が積まれた場所までは、行くことが出来ます。島の中でも特に重要な場所ですので、立入禁止から先は絶対に入らないようにしましょう。
徳仁港から一番遠い北東にカベール岬があり、ここに沖縄創世の女神「アマミキヨ」が降臨したとされますので、こちらの観光も外せません。岬まで行くには、徳仁港近くのレンタサイクルを利用すれば便利です。
なお、島の物は販売されているものを除き、島外に持ち出さないのが原則です。そして島は聖地ですので、汚さないようにしましょう。
これを機会に沖縄県南城市、神秘の「久高島」に足を運んでみて下さい。
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(2024/12/14更新)
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