天正18年(1590年) 大浦為信は、豊臣秀吉より南部氏に先駆けて4万5千石の所領安堵の朱印状を受けることに成功します。その後、大浦を津軽と改姓し津軽為信となります。この辺りは昔、鷹岡と呼ばれていました。鷹がとても有名で、後に鷹の贈呈を受けた豊臣秀吉は大いに喜んだと言われます。
ここに桜が植えられたのは、正徳5年(1715年)で、藩主が京都から25本を取り寄せたことが始まりとされます。現在の弘前城にはソメイヨシノ、シダレザクラ等、その種類は約50種となり本数も2600本とされます。
桜が咲き始める頃に壕の桃色は無く、ほとんどが散ってしまうと枝に桜の花はありません。これは例年、天候で変化することから、タイミングが難しいところですが、うまくいけば上も下も桃色の見事な景観を楽しむことが出来るのです。
城の西壕に沿って「桜のトンネル」が出来上がります。日本最古と言われるソメイヨシノ、そして日本最大幹周のソメイヨシノもあり必見です。美しき桜のトンネルの両側にはGWの「桜祭り」になると出店も並び、とても賑やかな雰囲気となります。
桜の花と壕の桃色、そして遠くにまだ雪を残す岩木山は絶好の撮影ポイントなのですが、実はあまり知られていません。ここは知る人ぞ知る、撮影の「穴場」となっています。そこは一般道路沿いとなるのですが、亀甲門(北門)の近くで、「津軽藩ねぷた村」という弘前ねぷた祭を紹介する建物前の交差点です。ここには、ぜひとも足を運んでみて下さい。
江戸時代が終わって明治になると、元津軽藩士と市民の手により2000本が植えられます。大正5年(1916年)には既に夜桜見物がさかんとなっており、桜としても長い歴史を有しています。
このため城郭内のあちらこちらにたくさんの桜があり、どこを歩いても美しい色に出合うことが出来ます。
ライトアップが始まると、城内も壕も日中とは違った別世界の美しさとなります。日本一と言われる弘前城の桜見学では、ライトアップも合わせてお楽しみ下さい。
石垣で映える桜、壕に浮かぶ花びら、遠くの岩木山は、多くの人の心にしっかりと残る見事な景観です。今では日本人のみならず、世界からも観光客が訪れる青森県弘前市の「弘前城」で、旅の思い出を美しく残してみませんか?
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