築城は古く、1416年−1422年頃に読谷山の按司護佐丸(ごさまる)によるものとされます。彼はこの頃の建築家として有名な人です。元々は違う場所に住んでいましたが、1416年(1422年説あり)に中山尚邑志の北山城攻めに参戦。勝利の後、北山城に残りますが、同時に「座喜味城」建築に取りかかっています。
標高120mのこの場所は周囲の見晴らしがよく、築城には適した場所でした。城は二つの郭で構成される連郭となっています。
沖縄では沖縄本土に上陸した米軍との戦争がありました。「座喜味城」には旧日本軍の砲台が築かれ、その後は米軍のレーダー基地として使われています。城壁の一部は壊されましたが、復旧。そのような歴史を持つグスクであることも、この場所に来たら思い出してみましょう。
際立った特徴は、門の表裏に石で作った楔(くさび)が使われていることです。これらの特徴から沖縄のグスクで最古のアーチ門とされ、沖縄最古ということは日本最古となります。他の地域で、このようなグスクは見られないからです。独特の形態をじっくりと観察してみて下さい。
本土の城と違って、曲線を多く用いるのがグスクの特徴です。これは琉球石灰岩が比較的加工しやすいということによりますが、防衛上有利であったという説があります。攻める側は城壁が直線であれば見通しやすいのですが、曲線であれば錯覚を起こし、位置が分かりにくくなるのです。
軍事的な目的だけではありません。特に座喜味城の城壁の曲線は芸術とまで言える美しさを誇り、これは現代建築から見ても立派な作りと言われているのです。
観光の際にはぜひとも近くによって、緻密に積み上げられた城壁を見て下さい。そこに長い歴史があり、また人々の思いが込められており、何かを感じることがあるかも知れません。
沖縄のグスクの多くでは、城壁の上に行けるようになっており、上からは周囲を展望することが出来ます。場所によっては遠くまで見渡すことが出来ることも。上って見ることで、時代は違っても昔の人も見たであろう広々とした景観を想像し、時代に思いをはせてみるのはいかがでしょうか。
なお、一部では立入りが制限されている場所もありますので、指示に従いましょう。制限地域外であっても、足元は不安定な個所があります。また、風の強い日などは特に注意をする必要があります。
くれぐれも軽率な行動を取らないようにし、観光マナーを守りましょう。
座喜味城では多くの出土品が出ており、中でも中国との交易に占める品々が特徴的です。小銭等の他に多く出ている青磁は15、16世紀のものであることから、築城の頃には盛んな交流があったことを示しています。
また、通常のグスクでは神が降臨する御嶽(ウタキ)がありますが、ここではまだ見つかっていません。これはグスクが交易と軍事目的であったためと指摘されています。
読谷村の「座喜味城跡」は世界遺産であり、歴史的価値が高い場所です。これを機会に、足を運んでみてはいかがでしょうか。
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