写真:松縄 正彦
地図を見る七兵衛さんは江戸時代、青梅の裏宿に生まれた農民でした。義侠心が厚かったのですが、盗賊となり青梅から上州、甲州、内藤新宿あたりまで出かけて盗みを働いたといわれます。といっても昼間、自分の農地で耕作し、夜に出かけて盗みを働き、朝には何事もなくまた農地で働いていた、といわれるように足が速い人物でした。
なんと1反(約10m)の長さの布を身に着けて走っても布が地面に着かなかったといわれるほどです。“エイトマン”や“スーパーマン”を彷彿させる人物です。
また盗んだ物品は村内の貧しい人に与えたため“義賊”とされました。最後はつかまり、さらし首になったのですが、この七兵衛さんの墓(写真)が青梅市の宗建寺にあります。
写真:松縄 正彦
地図を見る宗建寺の境内、お堂の正面にある墓地の右手にその七兵衛さんの墓(首塚)があります。ここを墓参すると“足腰が強くなる”、また“足が速くなる”といわれ、有名なスポーツ選手達が秘かに墓参をして来ました。相撲の「北の湖」関、また最近まで現役で戦った「戦闘竜」関、さらに野球では西武ライオンズの「石毛宏典」などの各氏です。
宗建寺では、草鞋のお守り「七兵衛わらじ」(写真)を手にいれる事ができます。健脚になりたい、あるいは足腰を丈夫にしたいという方はぜひ墓参し、わらじのお守りも手に入れましょう。七兵衛さんが義賊だった関係で、お守り代金は、毎年年末に、福祉関係の団体に寄付されるというオマケまでついています。
なお、このお寺は”毘沙門天”を祀る寺です。“戦い”の神様、毘沙門天と併せて拝む事で勝負への効果は抜群のはずです。
写真:松縄 正彦
地図を見るさて七兵衛さん、処刑されるにあたり“自分は甘んじてこれを受けるが、類が妻子にまで及ぶ事があれば怨霊となって祟(たた)る”事を最後に言い残したといわれます。しかし残念ながら、処刑後に七兵衛の屋敷や田畑は人手にわたってしまいました。
このためでしょうか、以後、七兵衛さんの屋敷や田畑があった場所では不吉な事ばかり起こります。明治になっても所有者に不幸が続いたため、大正になって一部の土地が役所に寄付される事になりました。
しかしその場所に建物を建てている際にも怪我人が続出。役所の有志が七兵衛さんを供養し、地蔵尊を奉祀した所、ようやく不吉な事はおこらず、逆に七兵衛地蔵尊は町内の守護神として崇敬されてきたといわれます。この地蔵尊(写真)は青梅市民センターの脇にあります。ちなみに前記写真の絵入りの“しおり”はこの地蔵尊で配布しているものです。
また七兵衛さんの屋敷跡は現在「七兵衛公園」となっていますが、公園の一画には七兵衛さんの供養塔が建てられています。義賊の七兵衛さんが“たたる”とは、家族思いの強い人だったのかもしれませんね。また、たたられた土地が公共の施設になっているのも面白いところです。
この地蔵尊も足腰の病、交通安全に効くとされ、特に青梅マラソンのランナーが完走祈願にお参りに来られています。なお地蔵尊裏手の御宅や踏切手前のコーヒー店が「お札所」になっています。
宗建寺の過去帳には、「このひとの由来を尋ねてはならぬ、ただし永く永く回向いたすものなり」と七兵衛さんの事が記され、生まれや素性を調べることは、タブーとされて来たといわれます。つまり、義賊の七兵衛さんの墓は秘かに守られてきました。
青梅は祟る霊の代表格、「平将門」にちなむ土地柄ですが、“祟る霊”は、供養する事でみな“守護神”へと大変身しているのです。
あなたも墓や地蔵尊に拝み、お守りやお札を手に入れ、七兵衛さん並みの健脚を目指しましょう!
この記事を書いたナビゲーター
松縄 正彦
生き物や歴史(それにお酒も)大好き人間です。日頃、眼や視覚・色に関するブログを更新しながら年1回は必ずレンタカーで各地を見て回っております。また「次に生まれ変わる時には、造り酒屋の婿養子になり道楽で各…
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(2025/2/8更新)
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