これぞ奈良。猿沢池の景観はただただ癒される

これぞ奈良。猿沢池の景観はただただ癒される

更新日:2013/08/19 16:34

猿沢池は池越しに興福寺の五重塔という絶景を見ることが出来る、奈良でも有数のビューポイント。観光客はもちろん、市民の憩いの場としても愛されるこの池に伝わる悲恋の物語や七不思議を、さまざまな景観を通してご案内いたします。

猿沢池は奈良時代に造られた興福寺の「放生池」

猿沢池は奈良時代に造られた興福寺の「放生池」
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仏教には「放生会(ほうじょうえ)」という、捕えた魚や獣を池や野に放つことで殺生を戒め、万物の生命を慈しむ儀式がある。この猿沢池は天平時代に、興福寺での放生会を行うために造られた一周約350mの人工池だ。
今でこそ興福寺の境内とは三条通をはさんで向かい合っているように見えるが、かつてはここまで興福寺の寺領であり、その権勢ぶりが分かるというもの。もちろん今でも普通に鹿が歩いているので、のんびりとお弁当を食べようものなら、たちまち鹿たちが寄って来るかも。
現在は、近鉄奈良駅からも徒歩10分だし「ならまち」にも近いこともあって、観光客はもちろんのこと地元の人たちにとっても憩いの場となっている。

「五十二段」は悟りを開くための階段

「五十二段」は悟りを開くための階段
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通称「五十二段」とよばれるこの石段は、猿沢池から興福寺の南大門跡へと続く階段で、その名の通り下から上まで五十二段ある。
これは大乗仏教の教えの中にあるもので、菩薩の修行の階位は一番下の信心・念心・精進心から始まり、一番上の妙覚までの五十二段階に分かれているというもの。妙覚に達した菩薩はあらゆる煩悩を断じ尽し悟りを開いた仏とされる
つまりこの階段を上り切って興福寺に入る頃には、もうすっかり仏の境地に到達しているに違いない。何気ない階段にも長い歴史と深い意味が隠されているのは、奈良ならではのことだ。

華やかな「采女(うねめ)祭」に隠された悲しい物語

華やかな「采女(うねめ)祭」に隠された悲しい物語
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この猿沢池には伝説が多く伝わるが、その中でももっとも有名なのがこの「采女伝説」だろう。天平時代に、春姫という美しい女性が采女として宮中に仕えていた。ほどなく天皇に見そめられ、寵愛を受けるようになったのだが、やがて寵愛は薄れてしまい悲嘆にくれた彼女は、この猿沢池に身を投げたと伝えられている。
池の南東には、入水する時に衣服を掛けたという衣掛柳の石碑があり、対岸の北西には采女神社がある。
不思議なことに采女神社は、池に背を向けるように建っている。これは祭神である春姫が自分が身を投げた池を見るのは嫌だと言って後ろを向かれたということと伝わっている。
「采女祭」は彼女の霊を慰めるために毎年仲秋の名月の日(旧暦8月15日)にJR奈良駅前から猿沢池のほとりに建つ采女神社まで花扇奉納行列が行われるところから始まり、采女神社に花扇を献じ、その後二隻の竜頭船にのせて池を二周し、最後に花扇を池に投じて供養するというもの。采女神社は普段は非公開だがこの日は参拝できる。

猿沢池の「七不思議」

猿沢池の「七不思議」
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澄まず・濁らず・出ず・入らず・蛙はわかず・藻は生えず・魚が七分に水三分
このように猿沢池には昔から伝わる七不思議がある。
猿沢池の水は、決して澄むことがない、かといってひどく濁ることもない。どこからも水が流入する川はなく、また流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。亀や鯉が食べてしまうのか藻も生えない。毎年多くの魚が放たれているので増える一方なので、魚が七、水が三の割合になってもおかしくないはずだが、魚であふれる様子がない。実に不思議なこともあるものだ…などということを考えながら夕涼みをするのもまた一興。
興福寺の南円堂にお参りされる方が鳴らす鐘の音がやさしく響き、とても心地よい。

五重塔が水面に影を落とす情緒ある夜景

五重塔が水面に影を落とす情緒ある夜景
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猿沢池は、現在も奈良の有数の観光スポットであるが、ここが景勝地として取り上げられたのは古く、室町時代に作られた「南都八景」の中にも「猿沢池の月」として取り上げられている。
興福寺の五重塔は高さ50mだが、この塔がどこからでも見えるように建物を建てるという奈良の不文律のおかげで一際大きく見える。
周辺には老舗旅館やビジネスホテルが軒を連ねているので、お泊りの際は夕食後にでも、この夜景を堪能していただきたい。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2013/08/09 訪問

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