創建は古く、延暦13年(794年)とされます。時は平安京遷都であり桓武天皇の入京と一致しています。神泉苑は平安京の南に当たる場所に造営された禁苑でした。禁苑とは宮廷内の庭という意味です。当時は南北に500m、東西に240mありとても大きな禁苑だったのです。
延暦19年(800年)に桓武天皇が行幸しています。正式な資料として神泉苑の名称が出てくるのは、「日本紀略」という平安時代に編纂された歴史書です。延暦21年(802年)には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑として天皇や廷臣の宴遊の場となっていったのです。
弘仁3年(812年)に嵯峨天皇が「花宴の節」を催したとあり、実に1200年前に花見をしたという古い歴史と由緒正しき場所なのです。
境内を散策し、かつてこの地が宮廷の宴の場であり、天皇が行幸して花見が行われた場所であることを感じてみて下さい。
慶長8年(1603年)、徳川家康が二条城造営の際、神泉苑の敷地は大幅に城内に取り込まれてしまっています。同時に水源も城内に引き込まれています。
春の日差しの中、その美しき佇まいに心惹かれることでしょう。何百本もの桜が咲いている様子は見事なものですが、数は少なくても独特の雰囲気の神泉苑で、法成橋を歩いてみましょう。静かな中に長い歴史の重さが感じられるかも知れません。
神泉苑の法成就池には龍神(善女竜王)が住むといわれ、水は決して枯れることが無いことも有名です。
天長元年(824年)に西寺の「守敏」と東寺の「空海」が祈雨の法を競い、空海が勝ったことから以後東寺の管轄となったとされます。こうして空海にも深いご縁のある場所になったのです。この場所は京都の東寺と同じ真言宗であり、ご本尊は聖観音、 不動明王、そして弘法大師「空海」となっています。
ところで空海と言えば、真言宗の総本山である和歌山県の世界遺産、高野山や四国の八十八か所お遍路を連想しがちですが、京都や兵庫には多くの空海の話が残されていることは、あまり知られていないことなのです。
天明8年(1783年)に発生した天明の大火。この時に堂塔社殿を焼失しています。最近の出来事では平成26年に、築200年の本殿の改修を含めて法成就池の水を抜き、石垣の修復までの大規模な整備作業が終わっています。
様々な出来事があったこの場所も、今では美しい色で多くの人に感動を与える見事な観光地と言えるのではないでしょうか。
「神泉苑」の源義経伝説を紹介します。源義経はこの地で静御前に出会ったというのです。雨乞いの神事の際、静御前が舞った直後に大雨となったとされます。源義経は美しく舞う静御前と恋に落ちたのです。
これを機会に、古い歴史を持つ桜の名所、そして絶好の撮影スポットの神泉苑に足を運んでみませんか?
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