写真:Naoyuki 金井
地図を見る神武天皇の息子がこの地の権主となった時に、海の畔“見沼”の地に出雲系の女神・奇稲田媛命を主祭神とした『三室の氷川女体神社』を創建し、神武天皇の第五皇女・久久里媛を巫女(斎王)として派遣しました。龍神(海の神)と結ばれた久久里媛は、伊津姫(姉)、多伎姫(妹)の双子の姫を出産しますが早逝し、氷川女体神社の前の海に葬られました。
すくすくと育った双子でしたが、巫女の座を巡って仲違いし、その醜い仲違いに怒った龍神がこの見沼の地を凍りつけてしまいました。
そして双子の姫も亡くなり、生き残った人々がこの双子を二つの女体神社に祀ったという伝説が残っているのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見るさいたま市緑区宮本は、かつて三室村と呼ばれ、この地にある氷川女体神社は古くから"三室の氷川様"と呼ばれ親しまれていました。
境内には、古くから重要な祭祀である「御船祭」が行われた《磐船祭祭祀遺跡》や、氷川女体神社社殿を始めとして多くの文化財が残されています。
こうした由緒ある氷川女体神社で、久久里媛を彷彿させるのが『巫女人形』です。
この巫女人形を毎日自宅で祈願すれば、その願いを人形が神様に届けれくれるという大変有難い人形です。願い事は一体につき“ひとつ”と決められていて、願いが叶ったら着物を着せて神社に奉納するのが決まりです。
やはり願い事には縁結びが多く、何と一万体以上が奉納されているという人気で、品切れが続いているという悲鳴に人気の高さが窺えます。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る三室の氷川女体神社から芝川沿いを下流に向かって南下し、見沼を見おろす大牧地区の台地上に鎮座しているのが『大牧の氷川女体神社』。
双子の内、どちらが祀られているかは定かではありませんが、由緒によれば、三室の氷川女体神社の祭神(奇稲田媛命)の御子姫を祀ったことになっています。様々な説があるのが歴史の常で、ある意味浪漫ですね。
判明している由緒は、棟札による本殿の建築年だけで江戸時代の寛永13年です。覆い屋の中にある小さな本殿は、見沼地方の特徴的な《見世棚造神社》の典型例として埼玉県指定有形文化財です。
文化財の貴重さはともかく、社殿隣の公園での親子連れの賑わいが、双子姉妹の穏やかな今を物語っているかもしれません。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る大牧の氷川女体神社を更に芝川に沿って下流に進むと三社目の《附島の氷川女体神社》があります。
かつて東京湾が大宮あたりまであったことの名残が“附島”と云う地名で、三室の氷川女体神社の社領が水没した際にこの地が代替地として与えられ、江戸時代に三室氷川女体神社を勧請して創建されました。
境内は、国指定史跡の日本最古の閘門式運河がある《見沼通船堀公園》の小高い台地にあります。境内地の後方に古来の東京湾の水際である通船堀があり、新たに作られた竹林と共に風と水の優しい音が、双子の姫を慰めているかのようです。
因みに、こちらの本殿も《見世棚造神社》ですが、創建年が不詳であることから、さいたま市の指定有形文化財となっています。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る女神達のいる三つの氷川女体神社を参拝したら、現代の女神のいる『彩果の宝石 本店』に寄ってみましょう。
このお店は1953年に創業され60年以上の歴史の有る老舗です。あくまでも偶然ですが、同じ緑区にあり三女体神社から直線距離にすると凡そ同距離で、丁度、三社の扇の要の大間木地区にあるのです。
こちらの人気は、埼玉県が誇るテッパン手土産のフルーツゼリーです。果汁たっぷりのジューシーなゼリーで、香りもまさにフレッシュフルーツの香り。形もフルーツの形やバラの形で可愛らしく女性に大人気です。
こうした美しいゼリーがいつしか、女体神社との不思議な縁で「まるで女神が現代に蘇ったかのようだ」と囁かれているのです。
さいたま市にある三つの氷川女体神社はいかがでしたか。
あくまで伝承ですので、現代では三社とも主祭神は、縁結びの神と云われる奇稲田姫命です。三室以外は無住の神社ですので授与品はありませんが、是非、三室と合わせて参拝していただきたい縁結びパワースポットです。
※冒頭の“レイライン親子”については下記の関連情報をご参照ください。
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
Naoyuki 金井
首都圏の神社を中心に小さな歴史絵巻を集めているジンジャーハンター。パワースポットのみならずサブカルやグルメなど、ニッチでギークな旅を紹介しています。皆様の旅にレアな彩を添えられれば、この上ない喜びです…
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