盛岡駅構内・新幹線の北口改札の前には「フクローの樹」。東北新幹線の開通を記念して岩手県盛岡市生まれの鋳金家(ちゅうきんか)・鈴木貫爾(すずき かんじ、1919年〜1982年)によって構想された南部鉄器を用いたモニュメント。
県花の桐の実をモチーフに宮沢賢治(1896年〜1933年)の童話の世界と盛岡のイメージを重ね合わせて表現された作品で、鈴木貫爾の言葉と解説が添えられています。
森の住人のフクローやリスが仲良く遊ぶ、優しく柔らかな印象の作品が盛岡駅構内に設置されているので、盛岡観光の一番初めに訪れてみてはいかがでしょうか。
※鋳金:加熱して溶かした金属を鋳型に流し込んで成形すること。
盛岡駅から北上川に掛かる旭橋を渡ると、宮沢賢治像や作品に関連したモニュメントが点在する材木町商店街のメインストリート「いーはとーぶアベニュー」。
花巻市生まれの宮沢賢治が学生・研究生時代を過ごしたのがこちらの盛岡です。「いーはとーぶアベニュー」には宮沢賢治にゆかりのスポットが多数あり、その場所には解説のプレートも掲げられ、分かりやすくなっています。
音や光を五感で楽しむモニュメント、童話『注文の多い料理店』の出版に携わった「光原社」、宮沢賢治の記念碑などもあるのでお見逃し無いように。
下部関連MEMOに「いーはとーぶアベニュー」の紹介記事へのリンクもありますので、宜しければ、そちらも御確認下さい。
孤光燈(アークライト)にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるゝ
上記の詩は「岩手公園」の最後の一節です。
宮沢賢治の死の一月前に当たる1933年(昭和8年)8月22日と日付の書かれた「文語詩稿百篇」の中にある作品の一つになります。
岩手公園(盛岡城跡公園)の中津川寄りにある宮沢賢治の詩碑には「岩手公園」の全文が記されています。その側には孤光燈(アークライト)も設置され、詩の情景とリンクした構成になっているのもオススメのポイントです。
その他、岩手公園には、宮沢賢治の通った盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)の二人の先輩、新渡戸稲造(にとべ いなぞう、1862年〜1933年)、石川啄木(いしかわ たくぼく、1886年〜1912年)の石碑もあるので是非、自然の溢れる園内を散策してみて下さい。
1917年(大正6年)、宮沢賢治が盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)の三年生の時、弟・清六(せいろく、1904年〜2001年)が盛岡中学校に入学するため、二人で“下の橋”近くの玉井家に部屋を借り生活を始めました。
その当時、使用していた共同井戸の水脈をさらに掘り下げ、その場所から引いた湧き水が“賢治清水”と命名され近所の方や旅行者の喉を潤わせています。現在、こちらの裏側にある駐車場内に賢治を偲んで井戸が保存されているので、そちらも要チェックです。
“賢治清水”の右側には、宮沢賢治の方言短歌「ちゃんがちゃんがうまこ」の“詩碑”。四首の短歌が宮沢賢治の自筆を基に刻まれた見応えのある大きな石碑です。
因みに「ちゃんがちゃんがうまこ」とは、次に詳しく解説する盛岡の初夏の伝統行事“チャグチャグ馬コ”の事です。
宮沢賢治が方言短歌「ちゃんがちゃんがうまこ」の四首にも詠んだ“チャグチャグ馬コ”は、農耕馬に感謝する200年以上にも及ぶ伝統行事。
色鮮やかな装束で着飾って大小の鈴を付けた100頭程の馬と馬主が、馬の守護神である蒼前(そうぜん)様を祀る滝沢市の鬼越(おにこし)蒼前神社を参拝し、盛岡八幡宮まで行進するお祭りです。
“チャグチャグ”響き渡る馬の鈴の音に由来し、その名称が付けられたと伝わっています。1978年(昭和53年)に国の無形民俗文化財に指定され、1996年(平成8年)には環境庁の「日本の音風景100選」に選定されています。
宮沢賢治ファンならずとも、観てみたい、聴いてみたい素敵な伝統行事です。
詩人・童話作家として知られる宮沢賢治が青春時代を過ごした盛岡には、他にも石碑やゆかりのスポットが沢山あります。岩手山や北上川の景観を楽しみながら、宮沢賢治の足取りを追いかけてみてはいかがでしょうか。魅力溢れる詩や童話が生まれる風土を体感できるかもしれません。
下部関連MEMOには、その他の関連・周辺スポット等を紹介した記事へのリンクもありますので、そちらも宜しければ御確認下さい。
以上、岩手県盛岡市の“盛岡駅・岩手公園(盛岡城跡公園)”周辺の「宮沢賢治ゆかりの地」巡りと伝統行事「チャグチャグ馬コ」の御紹介でした。
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(2024/12/14更新)
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