岩手・盛岡「啄木新婚の家」石川啄木の結婚までのドタバタ劇!

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岩手・盛岡「啄木新婚の家」石川啄木の結婚までのドタバタ劇!

岩手・盛岡「啄木新婚の家」石川啄木の結婚までのドタバタ劇!

更新日:2017/11/19 20:56

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

“吾れはあく迄愛の永遠性なると云ふ事を信じ度候”と後に妻となる女性に言わせしめた男、望郷と漂泊の歌人・石川啄木。先述の言葉は1905年(明治38年)6月2日に書き記された妻・節子の言葉です。

岩手県盛岡市にあり、盛岡駅からも歩いていける「啄木新婚の家」。啄木の両親と妹、そして新妻と一緒に結婚生活を始めた「啄木新婚の家」を歌人・石川啄木の結婚時のドタバタ劇を日付も追いながら御紹介致します。

「啄木新婚の家」へのアクセス

「啄木新婚の家」へのアクセス

写真:KISHI Satoru

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盛岡駅から徒歩で約10分の立地に、歌人・石川啄木(いしかわ たくぼく、1886年〜1912年)が妻・節子(せつこ、1886年〜1913年)と新婚生活を始めた武家屋敷「啄木新婚の家」があります。

1905年(明治38年)6月4日から、妻・節子と啄木の両親、妹と共に暮らした家です。その後、わずか三週間、6月25日には、こちら盛岡市の中央通三丁目から同市内・中津川のほとり加賀野一丁目に転居します。さすが流転の生涯を送った歌人・石川啄木です。

現在、盛岡市内の石川啄木の遺跡と呼べるものは、「啄木新婚の家」だけとなっています。入場無料で、近くには“啄木新婚の家口”のバス停もあり、アクセスしやすいのも嬉しいポイントです。

※「石川啄木」の「啄」の正確な表記は、右側・旁(つくり)の左払い三本の中央に「丶」のある旧字体となりますが、閲覧性保持のため新字体「啄」を利用した「石川啄木」としています。

“堀合節子”との出会い、そして結婚へ

“堀合節子”との出会い、そして結婚へ

写真:KISHI Satoru

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「啄木新婚の家」に入ると直ぐ、石川啄木と妻・節子の大きな写真パネルが出迎えてくれます。こちらは1904年(明治37年)秋に写されたもの。それでは出会いから結婚へと順に追ってみましょう。

啄木が盛岡中学(現在の盛岡第一高等学校)二年生の時、後に妻となる堀合節子と出会います。やがて二人は恋心を深めて、1904年(明治37年)2月に結納という形で結実。
第一詩集『あこがれ』の出版のため上京中の啄木に代わり、1905年(明治38年)5月12日に父親が婚姻届を提出、5月30日に盛岡での結婚式となります。

5月20日に東京から岩手・盛岡へと向けて出発した啄木ですが、途中の宮城・仙台で下車して友人たちと過ごすこと一週間以上。5月29日に仙台をやっと出発します。さあ結婚式は無事に開かれるのでしょうか。

“花婿のいない結婚式”と妻・節子の愛

“花婿のいない結婚式”と妻・節子の愛

写真:KISHI Satoru

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しかーし、石川啄木は盛岡駅を素通りして、幼少期を過ごした渋民(しぶたみ)へ。予定の30日の夜、珍妙な“花婿のいない結婚式”が行われます。それでもまだ現れない啄木に対して、6月2日に妻・節子が“信じたいと思います”という気持ちを仲人に伝えるために書き綴ったのが冒頭の言葉。

結局、啄木がこちらの家に到着したのは6月4日。そんなドタバタ劇を終えて新婚生活がこの場所から始まります。

石川啄木の妻・節子は盛岡女学校(現在の盛岡白百合学園高等学校)を卒業し、バイオリンや琴の演奏も。また短歌にも才能を示し、啄木の創刊した文芸誌「小天地」には「こほろぎ」とタイトルを付けた13首を発表し、好評を得るほどでした。

啄木の両親と妹が使用した部屋には、妻・節子の愛用した見応えのある大きな琴も展示されています。

ペンネーム“啄木”の由来と四畳半の「閑天地」

ペンネーム“啄木”の由来と四畳半の「閑天地」

写真:KISHI Satoru

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石川啄木というのはペンネームで、本名は石川一(はじめ)。少年時代を過ごした自然の中で、キツツキ(啄木鳥)の音をよく耳にした事から“啄木”というペンネームを用い始めます。

こちらが石川啄木の書斎であり、同時に夫婦の部屋。新聞に連載されていた随筆「閑天地」の一編「我が四畳半」には、当時の生活の状況が詳しく書かれています。

「閑天地」とは“のどかで静かな場所”を意味し、新婚生活が始まった現在の「啄木新婚の家」を指します。特に石川啄木ファンの方は、“我が室は四畳半なりと聞かば、読者は、『閑天地』の余りに狭きに驚きやすらむ。”で始まる随筆「我が四畳半」を読んでから訪れることをオススメします。

石川啄木や妻・節子に関連する“資料の展示”

石川啄木や妻・節子に関連する“資料の展示”

写真:KISHI Satoru

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「啄木新婚の家」の中央の部屋には石川啄木の年表や連載していた新聞「岩手日報」、妻・節子とのエピソードなどが紹介されているので、石川啄木の事について詳しくない方も安心です。

特に年表の上部には啄木の住んでいた地域も記されているので、その変遷に驚くことでしょう。大別すると、渋民、盛岡、東京を行きつ戻りつ、さらに北海道でも生活を送るといった、漂泊の歌人と呼ばれる理由が分かります。

こちらは、書斎並びに夫婦の部屋の隣にある石川啄木が愛用した玄関です。1904年(明治37年)の秋に撮影された婚約時代の啄木と節子の写真が掲げられた「啄木新婚の家」の入り口とは反対側に位置しています。

岩手県盛岡市「啄木新婚の家」のまとめ

盛岡都心循環バス「でんでんむし」に乗って“啄木新婚の家口”バス停で下車すると簡単にアクセスが可能です。詳しくは下部関連MEMOにあります、公式サイトへのリンクより御確認下さい。

天候に恵まれていましたら、盛岡駅から岩手山や北上川の景観を楽しみながら歩いても向かうのがオススメです。もしくは盛岡の他の観光スポットなどを巡りながら、入場無料の「啄木新婚の家」にも立ち寄ってみて下さい。

石川啄木ゆかりの地や石碑などの他にも、新渡戸稲造や宮沢賢治にゆかりのあるスポットも沢山あります。盛岡の四季の彩りを感じる岩手公園(盛岡城跡公園)も見所がいっぱいです。

以上、石川啄木のドタバタ劇から結婚生活が始まった場所、岩手県盛岡市にある「啄木新婚の家」の御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/12/16 訪問

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