岩手・盛岡は「新渡戸稲造ゆかりの地」太平洋の架け橋となった男

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岩手・盛岡は「新渡戸稲造ゆかりの地」太平洋の架け橋となった男

岩手・盛岡は「新渡戸稲造ゆかりの地」太平洋の架け橋となった男

更新日:2016/04/23 18:20

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

D号券・五千円札の肖像の人物、邦題『武士道』を著し世界に日本を発信した新渡戸稲造。世界の平和への貢献として、文化、教育、政治など多方面で、国際的に活躍した新渡戸稲造にゆかりのあるスポットが岩手県盛岡市には沢山あります。

盛岡駅から岩手公園(盛岡城跡公園)周辺を中心に、新渡戸稲造像、生誕の地、記念碑など「新渡戸稲造ゆかりの地」を、台湾やカナダ・ビクトリア市との関係にも触れながら御紹介致します。

「盛岡駅前の胸像」新渡戸稲造と台湾の関係

「盛岡駅前の胸像」新渡戸稲造と台湾の関係

写真:KISHI Satoru

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盛岡駅前にある“滝と鮭の彫刻”と南口との間には、盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)出身の新渡戸稲造(にとべ いなぞう、1862年〜1933年)の胸像が建立されています。
こちらは新渡戸稲造生誕150年を記念して台湾の実業家・許文龍(シュー・ウェンロン、きょ ぶんりゅう、1928年〜 )さんから贈られたものです。

ここで、新渡戸稲造と台湾の関係について少し触れてみましょう。
1895年(明治28年)、下関条約により清国から割譲され台湾は日本が統治することになりました。新渡戸稲造は1901年(明治34年)に台湾総督府技師に就任、台湾の産業を発展させるため「糖業改良意見書」を提出します。この意見書により、台湾の砂糖産業は大きく飛躍していったのです。

以上のような経緯により、新渡戸稲造と台湾には歴史的に強い繋がりがあるのです。

“新渡戸稲造先生誕生之地”の石碑

“新渡戸稲造先生誕生之地”の石碑

写真:KISHI Satoru

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1862年(文久2年)に南部盛岡藩士・新渡戸十次郎(にとべ じゅうじろう、1820年〜1867年)と妻・せきとの間に三人目の男児が生まれます。
十次郎が携わっていた荒れ地を農業に適した土地にするための開拓事業に因んで“稲之助”と幼名が付けられます。

後に『Bushido, the Soul of Japan』、邦題『武士道』を著し、国連事務次長としても国際的な活躍をした新渡戸稲造の誕生です。非常に簡単に述べると、1984年〜2004年発行・2007年支払停止されたD号券・五千円札の肖像の人物です。

岩手公園(盛岡城跡公園)と中津川の南に位置する場所には、「新渡戸稲造生誕の地」があります。樹木の植えられた小さな公園として整えられ、入り口の右手には“新渡戸稲造先生誕生之地”と彫られた石碑、奥には新渡戸稲造の像があります。

東京・多摩霊園にもある朝倉文夫の製作「新渡戸稲造像」

東京・多摩霊園にもある朝倉文夫の製作「新渡戸稲造像」

提供元:盛岡市商工観光部観光課

http://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/index.html地図を見る

入り口の石碑は1962年(昭和37年)9月に生誕100年を記念して建立されてものです。
また公園内には、新渡戸稲造が学んだアメリカのジョンズ・ホプキンス大学の学長スティーブン・マラー博士から1984年(昭和59年)6月に贈られたハナミズキも植えられています。

こちらの像は、没後50年を記念して1983年(昭和58年)10月に製作されたものです。
彫刻家・朝倉文夫(あさくら ふみお、1883年〜1964年)が1935年(昭和10年)に製作し東京・多摩霊園に設置された新渡戸稲造像のレプリカとなっています。

台座の裏側には“迷うことなく進む道標として/我らはここに新渡戸稲造の像を刻み/凝視し 誓う/平和へのたゆむことなき前進を”と締め括られる、「英知の磁針」と題された力強い言葉が記されています。

岩手公園(盛岡城跡公園)の記念碑

岩手公園(盛岡城跡公園)の記念碑

写真:KISHI Satoru

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東京大学の入学面接時、新渡戸稲造は、文学部の教授・外山正一(とやま まさかず)博士から専門である農政学に加えて英文学を修めようとする理由を問われます。

「太平洋の橋になりたい」との旨を答えます。さらにその意味を問われて、「日本の思想を外国へ、外国の思想を日本へ伝えたいのです」といった説明をしたのです。
後にアメリカ、ドイツ等でも学び、実際に太平洋の橋となり国際的に活躍した新渡戸稲造の熱い胸の内が伝わってくるエピソードです。

盛岡の町並みも眺望できる岩手公園の城跡部分の高台には、その時の言葉が記念碑に刻まれています。先述の「新渡戸稲造先生生誕之地」の石碑と同様に、1962年(昭和37年)9月に生誕100年を記念して建立されたものです。

ビクトリア盛岡友好「トーテムポール」

ビクトリア盛岡友好「トーテムポール」

写真:KISHI Satoru

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1933年(昭和8年)にカナダのバンフで行われた第五回太平洋会議に出席。静養のため、カナダのバンクーバー島にあるビクトリア市で過ごしていたところ体調を崩して、ジュビリー病院へ入院。手術後には一旦、落ち着いた状態となりますが、息を引き取ります。

岩手県盛岡市とカナダ・ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア市は1985年(昭和60年)に姉妹都市の提携を結びました。1995年(平成7年)には、10周年を記念して「ビクトリア盛岡友好協会」から盛岡市に寄贈されたのが、岩手公園内に聳えるトーテムポール。

上から鮭を掴んでいる鷲、手を広げた酋長、熊の彫刻。真ん中の訪問者を歓迎する酋長の像が、太平洋の架け橋となって世界平和を願った新渡戸稲造の志を象徴しています。その高さと彩りによって、遠くからでも気が付く彫刻柱・トーテムポールです。

岩手・盛岡「新渡戸稲造ゆかりの地」巡りのまとめ

盛岡市役所の北側にも「新渡戸稲造の胸像」があります。
その地点から中津川沿いに盛岡市役所、岩手公園を経由して「新渡戸稲造生誕の地」に至る約830メートルの道は、カナダ・ビクトリア市との姉妹都市提携10周年の記念に“ビクトリアロード”として名付けられました。

“ビクトリアロード”は、新渡戸稲造にゆかりのスポットを巡るのに最適な散歩道となっています。また岩手公園には同じく盛岡にゆかりのある歌人の石川啄木や詩人で童話作家の宮沢賢治の記念碑などもありますのでお見逃し無く。

また下部関連MEMOには、新渡戸稲造を始めとする盛岡の先人たちを顕彰する「盛岡先人記念館」の紹介記事等もありますので、そちらも是非チェックしてみて下さい。

以上、岩手県盛岡市「新渡戸稲造ゆかりの地」巡りの御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/12/15 訪問

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