写真:M Maririn
地図を見る樋口一葉(本名・奈津)は明治5年東京に生まれました。本が好きで学校を首席で卒業するほどのとても頭の良い少女でした。しかし10代の頃に父と兄を亡くし、一葉は樋口家の女戸主として母と妹との三人の暮らしを支えていくことになります。経済的に苦しい生活の末、明治29年に結核で24歳の短い生涯を閉じますが、一葉は女性ならではの細やかな感性と強い意志をもって数々の名作を残しました。
一葉が竜泉に住んでいたのは明治26〜27年のこと。長屋の一角で駄菓子や小物を売る雑貨屋を開きました。一年弱の短い間の住まいでしたが、一葉の代表作「たけくらべ」は、ここで得た体験を素材として書かれたのです。遊女を姉に持つ勝気な美少女美登利と寺の息子信如を主人公として、この地に住む子供たちの世界や淡い初恋を描いた物語は、一葉の代表作というだけでなく近代文学の傑作のひとつに数えられています。
一葉が住んだ家はもうありませんが、旧宅跡として記念碑が立てられています。
写真:M Maririn
地図を見る「八月廿日は千束神社のまつりとて、山車屋台に町々の見得をはりて…」と「たけくらべ」には「千束稲荷神社」の祭礼の様子が生き生きと描かれています。
江戸時代寛文年間の創建といわれていて、龍泉寺村周辺(現在の台東区竜泉周辺)の氏神様として崇敬され、今日に至っています。
境内には一葉の文学碑が建立されています。(当時は八月に行われていた祭礼は現在は5月の第4土・日曜日に行われています。)
写真:M Maririn
地図を見る千束稲荷神社では初午祭にたくさんの地口行燈(じぐちあんどん)を飾ります。地口とは駄洒落のことで、地口行燈とは駄洒落を絵と文句で書いた一コマ漫画のようなもの。昔は江戸中の稲荷神社で見られたのですが、今ではほとんど見られなくなってしまいました。
千束稲荷神社では江戸以来の風習を守り伝えようと、初午祭には境内に百灯余りの地口行燈と幟旗を掲げます。
写真は2016年の様子です。ユーモラスな絵と文句の行燈を見るのは何とも楽しい限り。初午祭は毎年二の午の日に行われます。
写真:M Maririn
地図を見る「たけくらべ」に登場する場所の一つが吉原遊郭です。江戸幕府公認の遊郭として生まれ最大規模を誇り、昭和33年まで続いた一大歓楽街です。歌舞伎や落語の題材として使われたり浮世絵に花魁の姿が描かれたりと、江戸文化の発信地でもありました。
今は吉原という地名は存在していませんが、千束4丁目辺りには痕跡がいくつか残っています。その一つ「吉原神社」は、かつて吉原遊郭にまつられていた五つの稲荷神社と遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀して明治5年に造られた神社です。現在の社殿は昭和43年に建てられたものですが、女性の信仰を集めた神社らしくどこか華やかな雰囲気を感じられます。
神社の近くには吉原から帰る客が名残を惜しんで振り返ったという「見返り柳」があり、当時を偲ばせます。
写真:M Maririn
地図を見る昭和36年に台東区が地元の有志の協力を得て、わが国初の女性作家の単独文学館「台東区立一葉記念館」が開設されました。その後老朽化が進んだことと、一葉が五千円札の肖像に採用されたのを機に改築され、平成18年に旧館と同じ場所に新記念館が完成し現在に至っています。
建物の一階外壁は黒塀様、館内一階は町屋の板壁風の造りになっていて、まるで一葉がすんでいた当時の街並みに足を踏み入れたよう。こちらには「たけくらべ」の未定稿など、一葉の直筆原稿や書簡類、遺品等の資料を展示し、文学に情熱を傾けた一葉の24年の生涯をたどることが出来ます。
記念館に隣接して「一葉記念公園」があり、記念館と一体的な空間として一葉の書いた小説の世界を表しています。
今回ご紹介したところのほかにも、この地域には浅草のお酉さまで知られる「鷲神社」や航空安全で守護神として信仰を集める「飛不動尊」など、まだまだ見どころがあります。「飛不動尊」は別記事で紹介しておりますので是非ご覧ください。
ご紹介した場所へのアクセス方法や催し物のスケジュールなどは、関連MEMOを参照していただければと思います。
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(2024/12/14更新)
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