朱色彩かな「舞台造り」の御堂 東京上野の人気スポット「清水観音堂」

朱色彩かな「舞台造り」の御堂 東京上野の人気スポット「清水観音堂」

更新日:2016/03/17 14:08

不忍池に浮かぶ弁天堂を眼下真正面に望む、色彩かな「舞台造り」の清水観音堂。平家の武将、平盛久の護持仏だった盛久受難の身代わり観音をご本尊とし、古くから「子授け・子育て」の霊験あらたかとして信仰を集める人形供養の観音様も奉安しています。
広重が愛でた「月の松」も復活、是非心願祈願に上野のお山にお出かけください!
桜の名所・上野のお山、桜の季節は特にお勧め!

「京・比叡山」にならって開山された「寛永寺」、不忍池、弁天堂そして清水観音堂

「京・比叡山」にならって開山された「寛永寺」、不忍池、弁天堂そして清水観音堂
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比叡山延暦寺が京都御所の鬼門(艮・東北)を守っていることにならい、江戸城の鬼門を守護すべく、徳川家康公の盟友でもあった天海大僧正により、上野忍ケ岡に「寛永寺」が開山されました。寛永2年(1625)のことです。山号も東の比叡山という意味で「東叡山」と名付けられました。

京都清水寺に祀られていた、平主馬判官盛久の護持仏であった霊験あらたかな「盛久受難の身代わり観音」が寛永寺に奉納されたこともあり、清水観音堂が京都清水寺を模した「舞台造り・懸け造り」の御堂として建立されました。

不忍池が琵琶湖に見立てられ、琵琶湖にうかぶ竹生島宝厳寺に見立てられて弁天堂も建立されました。

「懸け造り・舞台造り」のお寺は全国ではかなりの数がありますが、江戸東京では極めて珍しく、ほんの数例しかありません。 
舞台に立つと、目の前に月の松、遠景に弁天堂を望むことができます。

幕末の争乱に巻き込まれながらも、その美しい姿をとどめた「清水観音堂」

幕末の争乱に巻き込まれながらも、その美しい姿をとどめた「清水観音堂」
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寛永寺は徳川将軍家の庇護を受け、上野のお山ほぼ全域を寺領として保持していましたが、幕末、彰義隊と官軍が激突した上野戦争の際に主要な堂宇の多くを焼失してしまいました。

清水観音堂は幸いにも戦火をさけて焼け残り、その姿をとどめることができました。安政の大地震や関東大震災にも耐えた観音堂、今では上野のお山で最も古い貴重な建物となり、昭和21年には重要文化財に指定されました。2015年版ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンにも掲載されています。

ご本尊「盛久の受難を救った、稀なる奇瑞の観音様」が、幕末の争乱や震災から清水観音堂を護ってくださったのかもしれません。

「江戸33観音霊場」6番札所…および霊験あらたか「子授け・子育て観音様」と人形供養

「江戸33観音霊場」6番札所…および霊験あらたか「子授け・子育て観音様」と人形供養
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清水観音堂は昭和新撰江戸33観音霊場の6番札所。巡礼の霊場でもあります。
ご本尊「盛久受難の身代わり観音」は、平安時代の天台高僧、恵心僧都作と伝わる奇瑞の千手観音様。
寺伝によりますと、この観音様には次の奇瑞が伝承されています。

『平家滅亡後、京に隠れ逃れていた平盛久でしたが、ついに鎌倉方に捕らえられてしまった。由比ヶ浜で斬られることとなり、刀が振り下ろされた刹那、その刀は粉々に砕け散った。
北条政子の夢にも清水寺の高僧があらわれて盛久の赦免を願ったので、頼朝は大いに驚き盛久を免した。
清水寺では、盛久が討たれようとする瞬間、観音様がいきなり倒れ、腕が損傷した。京都に戻って参詣した盛久は、観音様が身代わりになってくださったことを知り、その奇瑞と霊験のあらたかさに感涙にむせんだ』

・・・というものです。

御堂内陣に「盛久救難の図(1800年)」という大きな絵馬が架けられており、その歴史を物語ります。

ご本尊は秘仏。普段は拝観することができませんが、この奇瑞が起こったのが、午の歳、午の日、午の刻であったので、年一度、初午の日(2月初めの午の日)にご開帳されます。ご縁日は毎月17日です。

奇瑞の観音様に加えて、脇尊には「聖観音様」と「子育て観音様」が奉安されています。特に子育て観音は子授け・安産・子育ての霊験あらたかとして信仰を集めています。
子供達の無事な成長を祈り、可愛がってきた人形に感謝し、心を込めて供養するのが「人形供養」。子育て観音様の周りには奉納された人形が並んでいます。

人形供養大法要は9月25日に行われます。盛大なイベントで、多くの人々が参詣します。境内には「人形供養碑」が建てられています。
人形供養碑の横には「秋色桜」と呼ばれる見事な枝垂れ桜があり、桜の季節には訪れる人々の目を楽しませてくれます。

月の松から「弁天堂」を望む

月の松から「弁天堂」を望む
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歌川広重は名所江戸百景で「上野清水堂 不忍池」と「上野山内 月の松」の2枚の画に清水観音堂を描いています。その絵にはくるりと丸い輪の枝を持つ松が描かれています。

広重も愛でた「月の松」と呼ばれたこの名松は、1860年代以来失なわれていましたが、2012年12月150年ぶりに復活されました。
清水観音堂の舞台から、松の丸い輪を通してみる弁天堂の姿は、江戸時代にタイムスリップしたかのよう。今や上野のお山の人気スポットとなった清水観音堂、外国から来られた方々の訪問の多いことにも驚かされます。

清水観音堂を拝んだら「弁天堂」を詣で、不忍池周辺を歩きましょう。素敵なシーンに出会えます。

清水観音堂を拝んだら「弁天堂」を詣で、不忍池周辺を歩きましょう。素敵なシーンに出会えます。
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不忍池は一年中季節ごとの風情があって、散歩も楽しいところ。池周辺には水鳥さん達もいっぱい。眺めていて飽きることはありません。少しの間ボートにゆられるのも一興。
木に鈴なりになっているスズメやヒヨドリ、人の手に餌をねだりに来る雀もいます。手に群がるスズメはこの上なく可愛いものです。

上野のお山は見どころ満載。西郷さんの銅像に、彰義隊士のお墓。上野動物園、美術館、博物館、下町資料館、常にいろいろな催し物が開催されています。

清水観音堂の他にも霊験スポットが盛沢山。五重塔や上野東照宮など江戸期の建築も見ることができます。

最後に…寛永寺開山堂(両大師堂)も参詣されることをお勧めします。

東京国立博物館に向かって右隣りに「寛永寺開山堂(両大師堂)」があります。ちょっと足を延ばして、両大師堂にも詣でられることをお勧めします。

両大師堂には、寛永寺開山・長寿で名高いお大師様「慈眼大師天海大僧正」と厄除け大師様として名高い「慈惠大師(元三大師)良源大僧正」が祀られています。
両大師堂で魔除けの御札として名高い「角大師の御札」を願われてはいかがでしょう。玄関の隅や家の鬼門に是非貼っておきたい御札です。 

清水観音堂と寛永寺を開いた慈眼大師、『一隅を照らす』清浄な心を頂ける一日になります。きっと。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/01/31−2016/03/08 訪問

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