東京スカイツリーのお膝元「隅田公園」は江戸情緒の宝庫

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東京スカイツリーのお膝元「隅田公園」は江戸情緒の宝庫

東京スカイツリーのお膝元「隅田公園」は江戸情緒の宝庫

更新日:2016/03/17 19:02

二宮 うららのプロフィール写真 二宮 うらら ライター、エディター

「隅田公園」は、隅田川にかかる吾妻橋から桜橋まで、ほぼ1kmに渡る両堤沿いに帯状に広がる公園です。現代の技術の英知を集めたスカイツリーの麓にあるのですが、実はそこここに江戸情緒あふれるスポットが点在しています。下町の“お江戸”を探して散策してみませんか。

隅田公園の散策は吾妻橋を起点にスタート

隅田公園の散策は吾妻橋を起点にスタート

写真:二宮 うらら

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「隅田公園」への起点となるのが、浅草寺のある雷門通りが隅田川を渡る「吾妻橋」。赤い欄干の上からは、隅田川をゆくクルージング船や東京スカイツリー、アサヒビール本社ビルの「炎のオブジェ」など近代的かつ個性的な建物がのぞめます。

江戸時代、隅田川はこの界隈で大川(おおかわ)と呼ばれていました。この場所に橋がかかったのは1774年(安永3年)のこと。名前は江戸から東へ通じる、または江戸の東にあるという意味の「東橋」に由来し、当時の美しい木製の橋は、歌川広重らによる錦絵に描かれています。

町の風景は変われど、船が行き交う水辺の趣は変わることがありません。
現在「隅田公園」は隅田川を挟んで西岸が台東区、東岸が墨田区。吾妻橋を渡って墨田区側を、川沿いに北へ歩くと墨田区役所があり、その敷地内で勝海舟の像と出会うことができます。

幕末の動乱期に日本の進路を洞察し、西郷隆盛との会談によって江戸城の無血開城を取り決め、江戸を戦禍から救った勝海舟は江戸本所亀沢町(現・両国4丁目)の生まれ。海舟の功績をたたえて、この地に像が建てられたそうです。
勝海舟像から堤下の道を北へ歩くと、隅田公園の入り口に到着します。

水戸徳川家の下屋敷跡だった風情あふれる「隅田公園」の日本庭園

水戸徳川家の下屋敷跡だった風情あふれる「隅田公園」の日本庭園

写真:二宮 うらら

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写真は隅田川東岸、隅田公園内にあるから池からスカイツリーを見たところです。ここは江戸時代、水戸徳川家の下屋敷、小梅邸があった場所で、当時の遺構を活用した日本庭園です。
現代の英知を集めて建設された東京スカイツリーと、日本庭園、古来より日本人が愛してきた桜の木々が1枚の写真に収まるスポットです。

「日本さくら名所100選」に選定されている隅田公園の桜堤。約1キロにわたり続く隅田川両岸の桜並木は、「墨堤(ぼくてい)の桜」と呼ばれ、江戸時代より親しまれてきました。
この地に最初に桜を植えたのは、徳川4代将軍家綱で、常陸国(現在の茨城県桜川市)の桜を移植したのが始まり。その後、8代将軍吉宗が享保2年(1717)に桜の樹を100株植えたと伝えられています。
文化年間(1804〜1818年)には、住民の手でさらに植栽され、『江戸名所花暦』に「江戸第一の花の名所」と紹介されるほどになりました。

明治時代になり、明治天皇が京都から江戸に都を移しました。天皇家では平安時代から宮中の花宴を代々開催していましたが、明治8年(1875)、明治天皇が東京で初めて行った花宴は、墨堤の水戸徳川家小梅邸で行われました。

桜堤は災害などで荒れ果てた時期もありましたが、多くの人々の努力により、今につながっています。

3月下旬より開催される雅な「さくらまつり」

3月下旬より開催される雅な「さくらまつり」

提供元:墨田区

https://www.city.sumida.lg.jp/bunka_kanko/index.ht…地図を見る

8代将軍吉宗が、隅田川の堤防に桜の樹を植えさせたのは、花見で人が集まれば、堤が踏み固めらえて強くなるという治水対策としての狙いもあったそうです。
もともとは貴族の風習だった花見が、庶民のものとなったのはこの頃から。弁当や酒を持ち込み、満開の桜の下で賑やかに過ごす。花見だけは身分や性別の区別なく楽しめる開放感のある行事となり、このときばかりは町方の取り締まりも大目になったそうです。

江戸時代の花見は主に日中のものでしたが、隅田川堤は夜になると近くの芸者や遊女たち、水茶屋の娘たちが、美しく着飾って訪れたとか。遊郭のある吉原に近いこともあり、船で繰り出し夜桜見物をする人も多かったそうです。

現在「隅田公園」内には約630本の桜があり、開花時期に合わせて例年3月下旬〜4月初旬に「さくらまつり」が開催されます。
墨田区側では川沿いに地元商店会の模擬店をはじめ、向島芸妓茶屋、銘品名店会のブースが軒が並び、多くの観光客で賑わいます。
日没から9時半頃まではライトアップが行われ、ぼんぼり提灯の光が幻想的な夜桜を浮かび上がらせます。

春の宵、桜の花と美しく着飾った女たちの華であふれたという江戸時代の墨堤の花見。そんな情景に想いを馳せ、そぞろ歩きしてみてはいかがでしょう。

隅田川七福神巡りのランドマークとなった「三囲神社」の大鳥居

隅田川七福神巡りのランドマークとなった「三囲神社」の大鳥居

写真:二宮 うらら

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墨堤の散策は、花見ばかりでなく、隅田川七福神巡りもあり、行楽好きの江戸庶民に大変人気がありました。
そのランドマークの一つが隅田公園内にある「三囲神社(みかこみじんじゃ)」の大鳥居です。土手の下にあるにもかかわらず、当時は対岸からも鳥居の貫(ぬき)より上が見られるほどの大きさだったようです。桜の頃に花に囲まれて見える様子は大変風情があり、歌舞伎の背景や浮世絵の題材として多く描かれています。

現在の鳥居は文久2年(1862)の建立によるものです。

夏の風物詩「隅田川花火大会」も隅田公園で開催される大イベント

夏の風物詩「隅田川花火大会」も隅田公園で開催される大イベント

提供元:墨田区

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納涼のための花火大会が始まったのも江戸時代で、日本で最初に行われたのが隅田川だと言われています。
そもそも隅田川の花火は、大飢饉や、江戸市中のコレラ発生を重く受け止めた8代将軍吉宗が、その慰霊と悪病退散を祈って、競歩18年(1733)に水神祭を挙行したのが始まり。このとき両国橋たもとの料理屋が公許を得て花火を打ち上げ、それ以降、川開きの初日に花火を打ち上げるのが恒例となったのです。

両国の花火は戦争や交通事情により終了しましたが、昭和53年(1987)、「隅田川花火大会」として復活。会場も第一会場は桜橋の麓、第二会場は駒形橋の麓となり、隅田公園界隈は最高の見物スポットとなりました。

さくらまつりと同様に、夏の風物詩「隅田川花火大会」も、隅田公園で行われる大きなイベントとなっています。

散策のお休み処は「長命寺桜もち」「言問団子」へ

隅田川の堤防沿いに広がる隅田公園は、お花見、花火のときだけではなく、一年中気持ちのよい散策路です。
江戸時代には数々の錦絵に描かれたエリア。点在する石碑や歴史的遺構に、江戸の記憶をたどりながら散策すると、より興味深く感じられることでしょう。
桜橋の麓には「長命寺桜もち」「言問団子」と、江戸期より人気の餅菓子店も健在で、当時と変わらぬ味を守っています。散策時のお休み処に、そしてお土産にピッタリです。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/15 訪問

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