150年ぶりに復元された“月の松”も必見!上野「清水観音堂」

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150年ぶりに復元された“月の松”も必見!上野「清水観音堂」

150年ぶりに復元された“月の松”も必見!上野「清水観音堂」

更新日:2016/04/12 11:07

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 武蔵国ナビゲーター、歴史探索ブロガー

ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで三ツ星に選定された“上野とその周辺”のシンボルが上野公園。
上野動物園などの施設があり老若男女楽しめる公園ですが、江戸時代、ここは全て寛永寺の境内だったことをご存じでしょうか。
この寛永寺は、当時の比叡山延暦寺や京都の有名寺院を真似たものなのですが、その中でも京都・清水寺を模して、特にコピー度が高いと云われる『清水観音堂』の見どころをご紹介いたします。

比叡山コピーの寛永寺

比叡山コピーの寛永寺

写真:Naoyuki 金井

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正式名称“東叡山寛永寺”は、寛永8年、二代将軍徳川秀忠から寄進された現在の上野公園の地に天海僧正によって開山されました。
当時、京都の鬼門を守るのが比叡山延暦寺でしたので、それを真似て江戸を守る“東の比叡山”の意味と“寛永時代”であったことから名付けられたのです。

現在の寛永寺の本堂は、やはり延暦寺を真似た『根本中堂』で、戊辰戦争で焼失した時は、現在の上野公園の大噴水の所にありましたが、明治12年に川越喜多院の本地堂を現在地に移築されました。
そして寛永寺の観音堂として建立されたのが清水観音堂です。

京都清水寺コピーの清水観音堂

京都清水寺コピーの清水観音堂

写真:Naoyuki 金井

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上野公園の南端、西郷隆盛像の近くに朱塗りに黒と金色のコントラストの美しい堂宇が『清水観音堂』。寛永寺開山のあとに相次いで建てられた堂宇の一つで、名称からも分かる通り京都・清水寺の完全コピーです。

本堂正面に舞台を付けた堂宇を崖の上に建て、不忍池の光景を眺められるようにしたのです。これは比叡山の畔に琵琶湖があることをコピーしたもので、東叡山の畔に不忍池があり、それを清水観音堂から眺められ、これも比叡山、琵琶湖、清水寺のジオラマとも云える絶妙な配置コピー。ご本尊も清水寺より迎えた恵心僧都作の千手観音像を秘仏として祀っている本気モードです。

江戸時代からの桜の名所

江戸時代からの桜の名所

写真:Naoyuki 金井

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清水観音堂の周辺は江戸時代から桜の名所で、浮世絵で名高い歌川広重も花見客が舞台からの景観を愛でる様子を描いています。

当時、清水観音堂の前には井戸があり、日本橋の菓子屋の娘“お秋”が花見の様子を「井戸ばたの 桜あぶなし 酒の酔」と詠みました。この句が江戸で評判になり、後にお秋は“秋色”という俳号で有名な俳人となったのです。

現在の清水観音堂の境内には、当時の風情を模した井戸と歌碑と共に、『秋色桜』と呼ばれる桜の木があります。
昭和53年に植え継がれた9代目位と云われている桜の木で、まさに江戸の趣を醸し出しているのです。

150年ぶりの月の復活

150年ぶりの月の復活

写真:Naoyuki 金井

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広重の浮世絵で見逃せないものがもう一つあります。
それは“名所江戸百景”に書かれた《上野清水堂不忍ノ池》と《上野山内月のまつ》の『月の松』と云われるもので、松の枝を丸くし月をかたどった、当時大変評判だった松でした。

清水観音堂のシンボルであったこの松は、明治初期の台風の被害で無くなってしまいました。しかし、浮世絵にも描かれていた江戸の風景を復活させるため2012年150年ぶりに復元されたのです。
約3年半要して造られた松で、4本作られた内2本は失敗し小ぶりの1本は予備として境内の隅に植えられていますので探してみてください。
琵琶湖の竹生島にある宝厳寺をコピーした不忍池の弁天堂を見ることができる、貴重な江戸文化の復活なのです。

見所一杯の清水観音堂

見所一杯の清水観音堂

写真:Naoyuki 金井

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桜や月の松以外にも多くの参拝客が訪れる理由があります。
秘仏のご本尊千手観音像は、毎年二月初牛の日にのみ開扉され、ご本尊に一目と云う大勢の方が参拝に来られます。

脇本尊の『子育観音』は、子授け、安産、子育てを願う方達に大変信心されています。そしてこれらの祈願が成就されると御礼として人形が奉納され、毎年9月25日の人形供養法要が行われる人形供養の寺院としても有名なのです。
京都・清水寺の舞台とは比較にならない大きさの舞台ですが、重要文化財である江戸時代のランドマークを味わって下さい。

最後に。。。

江戸時代の趣と京都の佇まいが残る『清水観音堂』はいかがでしたか。
現在の上野公園である広大な境内には、本堂を始めとして多くの堂宇がありましたが、明治維新での戊辰戦争(上野戦争)や関東大震災、そして第二次世界大戦の空襲などで、多くの堂宇が消失しました。
そのなかでも五重塔や黒門など数少ない江戸時代から残存する堂宇の一つが清水観音堂なのです。
コピー建造物として清水寺と比べれば見劣りがするかもしれませんが、それを補って余りある魅力をご覧ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/05 訪問

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