写真:後藤 徹雄
地図を見る豊臣秀吉の四国征服後、家臣の生駒親正が讃岐十七万石を与えられ天正18年(1590年)頃に完成させた高松城。四国の押さえと瀬戸内水軍の統括という豊臣の重要拠点であったため、黒田如水や細川忠興、藤堂高虎も設計に携わったという。瀬戸内海に面し、堀には海水を引き込んだ海城で別名を玉藻城という。
江戸期に入り生駒氏が四代でお家騒動のため改易となると、高松藩は天領となり水戸徳川家より松平頼重が入封した。頼重は徳川光圀(水戸黄門)の兄である。以後松平氏十一代で明治を迎えているが、この間善政を敷き、殖産興業に努め高松藩を繁栄させている。艮櫓と月見櫓という二基の現存櫓、天守台などの遺構はこの松平時代のものである。
現在の高松城には天守が存在しない。実は明治17年まで三層五階で漆喰塗籠の白亜の天守が建っていたのだが、老朽化のためやむなく取り壊されたのだ。古写真を見ると最上階が下層より大きい南蛮造りという建築であったことが分かる。高松市では天守復元計画が進行中である。
写真:後藤 徹雄
地図を見る天守再建に向け2009年から3年をかけて石垣修復工事が完了した天守台。その天守台に登ってみるとこの海城の配置がよく分かる。三方を囲む内堀は海から直接海水を引き込み、水門で潮の干満に合わせ水位を一定に保っている。左手が二の丸から天守へ渡る鞘橋(さやばし)、右手三の丸に月見櫓、中央に水門。そして背景となるのが香川・岡山両県の間に広がる備讃瀬戸の海。そこに浮かぶ女木島、男木島、豊島、小豆島の眺望に心奪われることだろう。
写真:後藤 徹雄
地図を見る月見櫓も松平時代に建てられた隅櫓で、三層三階、4mの石垣の上に建つ現存遺構である。舟の到着を監視する櫓「着見櫓」が元だという。当時はこのすぐ足元まで海となっていて舟で水手御門から直接城内へ入ることが出来た。藩主の乗った御座舟が出入りする様子が偲ばれる。
城跡は高松駅、高松港に隣接する玉藻公園として良く整備されており、ふたつの櫓、天守台、披雲閣庭園など短時間で効率よく散策出来るので是非ともコースに取り入れておきたい。
写真:後藤 徹雄
地図を見るさて潮風薫る名城を歩けば腹も空く。ご当地グルメを味わいたいが、ここ香川県では「讃岐うどん」以外をあげる方が難しい!地元の人に「美味しいうどん店を教えて」と訊いてみると、皆さん実に嬉しそうにそして懇切丁寧に教えてくれる。香川県民にとってうどんは日常の食品、食習慣であり暮らしの一部でもあるのだ。
では特別の日、祝い事や大切な客人の接待といった非日常いわゆる「晴れ(ハレ)の日」にも名物讃岐うどんを食したいときはどうするか。そういう時、地元での一致した答えがこの「郷屋敷」である。
「郷屋敷」は高松市の東部牟礼町に残る与力屋敷をそのまま活用した料理店だが、精粋讃岐料理と名付けられた料理に手打ちの讃岐うどんを加えており、地元ではうどん店としてよく知らている。門をくぐると二百五十年続く屋敷の庭が四季折々の彩りで迎えてくれる。また郷屋敷「大人の和婚」として人気のブライダル会場でもある。個室は予約制だが座敷は畳に椅子とテーブルが据えられ何時でも利用できる。もちろん一人でも丁重に案内してもらえるので心配はいらない。
写真:後藤 徹雄
地図を見る料理の方は単品のうどんも500円程度からと一般のうどん店と変わらず、会席も2500円から8000円と程良い価格設定となっている。写真はランチメニューより「でんぶくの天麩羅ぶっかけうどん」セット。(1240円)「でんぶく」とは「讃岐でんぶく」ともいう瀬戸内海で育った天然のナシフグのことで、国内では4県でしか水揚げされない希少なふぐである。
有形文化財指定の屋敷の佇まいが素晴らしく、全ての部屋から庭が望めるそうだ。本場の讃岐うどんとともに高松の良き思い出となることだろう。
全国にあった海城と云われる城も、ほとんどが埋め立てによってその面影を失ったが、高松港が宇高連絡船の基地だったこともあって埋め立てを免れた高松城。連絡船はなくなっても瀬戸内海を行き来する船上から見れば、その櫓や天守はまさに高松のシンボルといえるだろう。名城と讃岐うどんをとば口に陸海空ともにアクセス便利な四国の玄関、高松の扉を叩いてみようではありませんか!
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(2024/11/9更新)
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