日本のカッパドキア!埼玉県吉見町「吉見百穴」はコロポックルの住居?

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日本のカッパドキア!埼玉県吉見町「吉見百穴」はコロポックルの住居?

日本のカッパドキア!埼玉県吉見町「吉見百穴」はコロポックルの住居?

更新日:2016/05/16 18:47

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 武蔵国ナビゲーター、歴史探索ブロガー

世界遺産カッパドキアは、トルコの中央アナトリアの高原にある岩石遺跡群。そのカッパドキアの光景が何と埼玉県にもあると密かな話題になっているのが『吉見百穴』。その正体は古墳時代後期の横穴古墳群なんです。
江戸時代には「不思議な穴」と云われ、明治時代には「小人の住居」と云われた『吉見百穴』が一体どんな遺跡なのか、いちごの里として知られる吉見町にある“埼玉県のカッパドキア”をご紹介します。

その恐るべし百穴の発掘

その恐るべし百穴の発掘

写真:Naoyuki 金井

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「百穴」の名が文献に見られるのは、約200年前の江戸時代中期で“不思議な穴”として興味を持たれましたが、科学的に検討されるようになったのは明治時代からです。
当時、弥生式土器を発見して一躍名声を得た東京大学の大学院生坪井正五郎氏が、卒論として明治20年にこの地を発掘し人骨、玉類、金属器、土器などが出土しました。

坪井氏は、この発掘から“不思議な穴”には住居用の構造・設備がありながら日本人の住居としては小さいとの見解を示しました。これによりこの横穴はコロポックル人(アイヌの伝承に登場する小人)の住居であるとし、その後、古墳時代に墓所として再利用されたと云う驚くべき発掘結果を唱えたのです。
のちに考古学の第一人者となる坪井正五郎博士が手掛けた初期の発掘という意味合いから、『吉見百穴』が日本考古学史上、極めて重要な遺跡と云われることになりました。

コロポックル人のお宅拝見

コロポックル人のお宅拝見

写真:Naoyuki 金井

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坪井博士の説通り横穴はそれほど大きくはないのですが、中には自由に入れる横穴もあります。
それでも人が立ち上がれるほどの高さは無く、横幅も広いものでも人の身長程度でしょう。横穴の中には台座のようなものがあり、横穴によっては台座が一つのものや二つのものも。これらを見ると、確かにベッドのある住居と考えることも一理あるのかもしれません。

この坪井博士の説に対して、弥生式土器の共同発見者である白井光太郎博士は、住居としての証拠がないことや、他の古墳と同様な特徴があることから、この横穴は最初から墓として作られたもので住居ではないと匿名で反論。特に横穴の入り口には板状の石蓋がはめ込まれていたことから、日常の住居の扉としては相応しくないという決定的な理由があったのです。

結局、住居VS墓の論争は、考古学の発達と大正2年坪井博士の死去により集合墳墓説が定説となり、大正12年に国の史跡に指定されました。

迷路のような大きな穴

迷路のような大きな穴

写真:Naoyuki 金井

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見学に来られた方が一様に驚かれるのが、小さな横穴以外に一際大きな洞窟のような穴です。こちらを見ると住居だったのではと思われるほどですが、これは太平洋戦争末期、中島飛行機の大宮エンジン製造部門をここに移すためのトンネルだったもの。
直径3メートルほどのトンネルは500メートルに渡り掘られ、出入り口として3か所の坑口があり、昭和20年7月ころから一部試験的に製造が始まったのですが、終戦と共にほとんど使用されずにトンネルだけが残されたのです。

現在公開されているトンネルは、全長の十分の一ほどなので、如何に大規模な工場を計画していたかが窺えるでしょう。
近年では、百穴の異様な外観や軍用トンネル跡などが、“悪の秘密結社の基地”といった雰囲気であることから、仮面ライダーやウルトラマンシリーズなどのロケ地として使用されています。

上と下にも見所がある

上と下にも見所がある

写真:Naoyuki 金井

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200基以上の横穴のある岩山の下の方に『ヒカリゴケ』が自生している穴があります。
ヒカリゴケとは、文字通り洞窟のような暗所でエメラルド色に光るコケで、本州の中部地方以北の冷涼な地域に分布しています。こうしたことから関東平野におけるヒカリゴケの自生は大変珍しい為、現在は国の天然記念物に指定されています。

暗く狭い穴の神秘的な光を堪能したら、明るく広い絶景を観ておきましょう。
岩山の階段を上れば横穴を見ながら頂上に行くことができます。頂上からは吉見町や隣接市の東松山市が一望でき、遠く秩父のシンボル武甲山等を見ることができ、晴れて澄み切った日には富士山を眺めることもできる絶景を楽しめるのです。

必ず寄ろう「発掘の家」

必ず寄ろう「発掘の家」

写真:Naoyuki 金井

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『発掘の家』と云っても資料館ではなく、岩山の麓にある“お土産屋”ですが、単なる売店ではありません。
現在、国の史跡となっている吉見百穴は、昔も今も個人である大澤家の所有で、その大澤家が営んでいる売店が『発掘の家』なのです。しかし興味深いのはそれだけではなく、売店には百穴からの出土品が展示されており、誰でも見学ができることです。

店主の大澤氏が云うところでは、発掘後、出土品の大半は東京大学に持っていかれ、ホンの一部大澤家に残されたそう。しかし現在、その東京大学に持っていかれた出土品が紛失されたため(他のものと混じったため判断がつかず紛失と偽っている説もあるそうです)、見られるのはこのお店に残っているものだけという超貴重品なのです。

白井光太郎の墳墓説の一因ともなった《横穴を塞ぐ板状の石蓋》を始めとする出土品や、発掘当時大学院生だった坪井正五郎の写真などが展示されていますので、忘れずに見ておきましょう。

最後に。。。

埼玉県のカッパドキアは結局、コロポックルの住まいではありませんでしたが、実に興味深い史跡です。大澤氏によれば、現在は、関西方面からの観光客も多く、「写真で見るのと大違い」と感動されているのだとか。
因みに気さくな大澤氏は、周辺の見所なども教えて頂けるので気軽に聞いて見るのも良いでしょう。
是非、一度奇妙な史跡『吉見百穴』を訪れて吉見観光を楽しんで下さい。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/05 訪問

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