東日本大震災を風化させない!南三陸 ホテル観洋の「語り部バスツアー」

東日本大震災を風化させない!南三陸 ホテル観洋の「語り部バスツアー」

更新日:2013/08/27 13:44

bowのプロフィール写真 bow トラベルライター
東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町。そこに、全国的にも有名な観光ホテル「南三陸ホテル観洋」があります。震災から既に2年が経過し、メディア報道も減る中、このホテルでは震災を風化させない為、宿泊者対象にスタッフ自らが語り部となってガイドするバスツアーを連日運行しています。

東日本大震災と南三陸町。

東日本大震災と南三陸町。

写真:bow

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南三陸町は人口1万7000人の小さな町です。震災により、死者行方不明者が700名以上を数え、約5000戸あった住宅も60%以上が津波により消滅してしまいました。

そんな南三陸町に全国でも有数の大きさを誇る観光ホテル「南三陸ホテル観洋」があります。ホテル自体は頑丈な岩盤の高台にあったため、難を逃れることができました(とはいえ2Fの天井までは津波が襲ったそうです)。震災後、いち早くボランティアや避難民の受け入れをするなど、地域復興の拠点となったホテルでもあるのです。

そんな「南三陸ホテル観洋」がこの震災を風化させない為、また被災地の現状を理解してもらう為に宿泊者を対象にした「語り部バス」を連日運行しているのです。語り部はもちろんホテルスタッフが担当しており、バスツアー中のガイドをしています。

悲劇の防災庁舎を前に。

悲劇の防災庁舎を前に。

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津波が目前まで迫る中、若き女性職員が最後まで避難を呼びかけた場所として有名になった南三陸町の防災対策庁舎。3階建ての庁舎の屋上から更に2mも上回る巨大な津波に襲われ、鉄骨を残すだけの無残な姿になりました。屋上に避難していた30名は津波が引いた後、10名にまで減っていたそうです。

そんな、想像を絶する津波の生き証人でもある防災対策庁舎。実際にこの前に立ち、屋上の高さにまで押し寄せた津波を想像するとなんとも言えない思いになります。この防災対策庁舎は語り部バスツアーのメインでもあり、語り部の口調も熱を帯びます。「テレビなどで見るだけではなく、実際に現地に来ていただき、この場で何が起こったのかを知ってもらう事が大事。」実際に津波を経験した人間でしか言えない言葉が次々と胸に突き刺さります。

南三陸町復興のシンボル。

南三陸町復興のシンボル。

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復興商店街の一つ、『南三陸さんさん商店街』も語り部バスツアーのコースに入っています。商店街の名前の由来は「サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南サン(三)陸の商店街にしたい」という思いからだそうです。

その思いの通り、商店街の中は万国旗のはためく何やら楽しげな雰囲気!観光バスも続々と訪れる新しい観光地になっています。商店街には、南三陸の名物”A級グルメ”とも言われる「南三陸キラキラ丼」を食べられる食堂もあります。「南三陸キラキラ丼」は、四季に合わせた三陸産の海産物にこだわって作られた丼ぶりで、大震災前は1年間に4万5000食を売り上げたというヒット商品!ウニ丼やイクラ丼などのバリエーションがあります。

その他、商店街には約30店舗が出店し軒を連ねています。有名なグルメ漫画「美味しんぼ」にも登場した魚屋さんもココにありますよ!また、大きなフードコートも設置されており、イベントも多数開催されています。

モアイが語り継ぐ津波の教訓。

モアイが語り継ぐ津波の教訓。

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「南三陸さんさん商店街の脇」には一体のモアイ像が設置されています。このモアイ像は2013年5月にチリ共和国から贈呈されたものですが、実はもともと南三陸町にはモアイ像があったのです。

昭和35年のチリ地震津波で大きな被害を受けた南三陸町とチリ共和国は津波被害がきっかけで友好関係になり、防災と友好の証としてモアイ像が送られていたのです。しかし、そのモアイ像が東日本大震災で流されてしまい、壊れてしまったのです。そんな中、2012年3月に来日したチリ共和国のピニェラ大統領が新たなモアイ像の寄贈を約束し、今回の設置に至ったのです。

そしてこのモアイ、実はタダモノではないのです。石はイースター島の石を使って作られた本物!(過去の物はチリ本土の物)さらに白サンゴと黒曜石でできた瞳がはめ込まれており、これがモアイの本来の姿ということです。つまりこれはレプリカではなく、れっきとした本物のモアイだということです!「モアイ」という名には「未来、生きる」との意味があるという説もあるそうで、まさにこの場にピッタリの存在なのです。

被災地の現状を知る。

被災地の現状を知る。

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震災から2年が経過し、震災関連の報道も減少傾向にあります。しかし、実際の被災地を見ればまだまだ復興とは程遠い現実があります。津波の被害を受けた南三陸町中心部は海岸線から近いエリアが街ごと消えてしまったような状態。津波被害を受けた土地は新築許可すら下りないそうで、旧市街地は雑草の生い茂る荒れ野原になっています。それどころか地盤沈下により海水が引かないようなエリアもあり、2年経った今も元の姿には程遠い状態です。

復興商店街も被災地各地に続々と誕生していますが、実際の経営は厳しく、店をたたむケースも少なくないとか。人も減り、町の自営業は7割が廃業に追い込まれています。もはや地元民だけの商売では成り立たない状態で、頼みの綱は観光客になっているのです。

”被災地の観光なんて不謹慎だ!”などという声もあるかもしれません。しかし、南三陸ホテル観洋の女将は言います。「あれだけのことを生き延びた人たちが、ただただ、置き去りにされていいのだろうか。被災地に『行きにくい』『行ってはいけない』という声も聞こえてくるけれど、お越しいただければ被災地は元気になる」
その声の通り、以前の来館客の7割は東北エリアからだったのが、震災後の現在は東京、関西、九州とこれまで来ることのなかったエリアから多くの観光客が南三陸ホテル観洋を訪れ、被災地を元気づけているのです。

まだまだ復興は始まったばかり。被災地を元気にする為、我々は普通に観光を楽しむべきなのです。そして、被災地の今を知る為に被災者でもある語り部の声に耳を傾けて下さい。

★南三陸ホテル観洋
 「震災を風化させないための語り部バス」

時間:8時45分出発(約60分)
料金:大人500円 子供(小学生以下)250円
予約:出発日前日の夜21時までにフロントにて申し込み。
期間:毎日運行

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/08/08−2013/08/09 訪問

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