真田父子、直江兼続が攻めた東京「八王子城」ここは日本100名城の1つ!

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真田父子、直江兼続が攻めた東京「八王子城」ここは日本100名城の1つ!

真田父子、直江兼続が攻めた東京「八王子城」ここは日本100名城の1つ!

更新日:2016/03/31 14:06

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー

秀吉の天下統一の最終局面であった小田原城攻め。この鍵となったのが東京「八王子城」の攻略でした。前田利家を総大将とし、上杉景勝・直江兼続や真田父子など錚々たる武将が攻めたのです。この城は日本100名城の1つで、曲輪の虎口はあの安土城がモデルです。鳥の声を聴き、自然を満喫しながら山城散策をしてみましょう。

壮大な山城

壮大な山城

写真:松縄 正彦

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豊臣秀吉の小田原攻め。全国の大名を動員した一大イベントでしたが、この小田原攻略の鍵となったのが東京八王子にある北条氏照(三代目北条氏政の三男)の八王子城でした。
この城は壮大な構想で築城されましたが、まだ未完成の山城で、そこを前田利家を総大将とし、上杉景勝・直江兼続や真田昌幸・信之・信繁(幸村)父子ら5万(1万5千ともいわれる)の軍勢が攻め立てたのです。このとき城主の氏照は小田原城に詰めており城主が不在で守備軍は3千という状態でした。

多勢に無勢で6月23日(旧暦)に城は落ち、秀吉は北条氏への“見せしめ”のため、守将の首を小田原城に届け、また妻子を城下に連行したといわれます。この為、小田原方は戦意を喪失し、7月6日に降伏します。八王子城の落城が北条氏降伏の鍵となったのです。

八王子城は氏照の居館などがあった“居館地区”、戦闘時に要塞となる“要害地区”(写真はここへの登り口)、城下町にあたる“根小屋地区”に分かれますが、八王子城跡では居館地区と要害地区の2つを間近に見る事ができます。

虎口に注目!〜安土城がモデル〜

虎口に注目!〜安土城がモデル〜

写真:松縄 正彦

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八王子城は1582年頃から築城され、1587年頃までには氏照が拠点にしたといわれます。この城の曲輪(土塁などで囲まれた平坦利地)の出入り口(虎口)は守備しやすいように曲がりくねっています。この構造はなんと信長の安土城がモデルになっているのです。同じ山城という事もあるのでしょうが、八王子城の構想そのものの壮大さも窺える話です。

ちなみに写真は居館地区にある御主殿(ごしゅでん)の虎口です。この居館地区は城壁や大手門から通じる道にかけられた曳橋などが復元されています。また、この地区には館や集会所また庭園跡なども残されています。

いざ本丸へ〜八王子神社へも参拝を〜

いざ本丸へ〜八王子神社へも参拝を〜

写真:松縄 正彦

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さて、いよいよ本丸(要害地区)へ登りましょう(メモ欄の縄張り図参照)。管理棟右手の道を行き、前記写真の鳥居をくぐり、すぐに左手の道に曲がり上へと歩いてください。ここからは自然が豊富な山登りになりますが、この道は、総大将であった前田利家隊が攻め登った大手口の道になります。
他の武将、上杉景勝は居館地区から上の二の丸へ、真田昌幸・幸村父子は御主殿の横から上の山王台へ、また直江兼続は城の裏側(搦手)からいずれも尾根伝いに攻め登ったといわれます。

登りながら見てみますと、この大手口以外は急な斜面で細い道しかありません。本丸へはいくつかのルートがありますが、山王台を通る道は今でも猪が出ることがあり、かつ急な斜面ですので、利用するのは避けてください。真田勢は良くこの道を攻め登ったものです。
金子曲輪、柵門台、高丸を通り、三の丸(小宮曲輪)の下まで来ますと眼下にパノラマが開け、八王子駅方面から秋川方面を見る事ができます。また二の丸(松木曲輪)に行くと高尾山方面の眺めが楽しめます。なお、八王子城落城のきっかけは三の丸が上杉勢によって陥落した事が引き金になりました。

ところで中の丸(中の曲輪)にあるのが写真の八王子神社です。ここは牛頭天王と“八人の王子”(八王子)を祀った神社で、城の築城にあたり氏照が守護神としてここに移設したものです。城の名前や八王子の地名はこの神社名に由来しています。
神社の裏手の丘が本丸跡です。神社右手に見える階段を上ってゆきましょう。本丸跡は狭いですが広場になっており石碑が立っています。

悲しい歴史をもつ御主殿の滝〜心霊スポット〜

悲しい歴史をもつ御主殿の滝〜心霊スポット〜

写真:松縄 正彦

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八王子城の御主殿のすぐ近くに滝(御主殿の滝)があります(写真)。城が落城した時に御主殿にいた北条方の武将や婦女子らがこの滝の上流で自刃し、滝に身を投げたといわれます。その血で川の水は三日三晩血に染まったとか。
この為でしょうか、ここは都内屈指の“心霊スポット”としても有名で、江戸時代の書物にも“落城の日には悲鳴が聞こえる”などと書かれ、落城の日(現在の8月10日頃)には地元民は城址に近づかないとも言われています。
滝の手前に慰霊碑が建てられ、花が飾ってありますので、これを拝み、亡くなった方々を弔ってから滝を見るようにしましょう。

日本100名城の1つ

戦国時代の最終局面の鍵となった八王子城。ここは日本100名城の1つでもあります。管理棟(無料のガイドが常駐)の入口で“100名城スタンプ”を押す事ができます。ちなみに八王子城は100名城の22番目、小田原城は23番目、また氏照の弟であった氏邦の鉢形城は18番目に登録されています。
ここは自然を満喫したい方、また歴史に興味のある方にお勧めのお城で、戦国時代の山城攻めの気分が充分に味わえます。また勾配も比較的緩やかなため中高年や女性も無理なく登れます。

なお後日談になりますが、中の曲輪や松木曲輪周辺を守備していた守将中山勘解由の子供は徳川家康に仕えます。長男は関ヶ原の戦いで秀忠勢に加わり“真田”(第二次上田)攻めに参加します。その後、軍律違反を問われ、なんと真田信之に預けられますが、後に許され御旗奉行まで出世・・と長男は真田と縁が深かったようです。さらに次男は水戸徳川家の筆頭家老になり、徳川光圀を第二代藩主として家光に推挙するという活躍をします。小田原落城時に家康が彼らを探し回ったとも伝えられますが、まるで歴史ドラマを見ているような面白い展開です。

城跡入口にあるガイダンス施設(メモ欄参照)で八王子城関係の歴史的な説明を詳しく知る事ができます。またトイレや休憩所も完備されていますので城に登る前後に利用すると便利です。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/23 訪問

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