旅しよう、小林一茶これにあり!一茶が巡った北信濃

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旅しよう、小林一茶これにあり!一茶が巡った北信濃

旅しよう、小林一茶これにあり!一茶が巡った北信濃

更新日:2016/03/29 16:09

和山 光一のプロフィール写真 和山 光一 ブロガー

江戸三大俳人のひとり小林一茶は、豪雪地として知られる信濃町柏原に生まれました。俳諧師として認められた後、50歳にして帰郷した一茶は、郷土の自然や暮らしに寄り添い、動植物や子供を愛する多くの句を生み出しました。一茶生誕の地であり、終の住処である「信濃町」、一茶を中心にサロン的な社交場が広がった「信州高山村」、温泉好きの一茶が逗留した「湯田中」と、一茶の足跡をたどり、一茶の句の世界を旅してみませんか。

日常を一句に凝縮させた市井の俳人・一茶を知るモダンな博物館

日常を一句に凝縮させた市井の俳人・一茶を知るモダンな博物館

写真:和山 光一

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一茶終焉の地である旧宅が国の史跡に指定されたのを記念して、昭和35(1960)年、一茶の墓のある小丸山に「一茶記念館」が開館しました。地域材のカラマツとガラスをふんだんに使った、建築家・宮本忠長氏設計のモダンな建物は、建物内からも一茶が眺めたであろう北信五岳の黒姫山や飯綱山、妙高山を望めるように配慮されています。記念館では、一茶の生涯をたどりながら、「七番日記」「おらが春」などの、貴重な一茶作品を見ることができます。一茶の故郷柏原宿のようすや、一茶顕彰に関する資料なども展示されていますよ。(入館料500円)

記念館前には、一茶の代表作「おらが春」のなかで、故郷を描いた一節にでてくる「九輪草 四五輪草で 仕廻けり」の句碑があります。また記念館と小丸山公園は、一茶記念館二代目猫館長「うみ」お気に入りの場所なので是非会いに来てみてください。

「初夢に 古郷を見て 涙かな」一茶を慕う人々に愛された場所

「初夢に 古郷を見て 涙かな」一茶を慕う人々に愛された場所

写真:和山 光一

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一茶記念館隣、小丸山公園に「俳諧寺(一茶おもかげ堂)」があります。一茶の死後から80余年後の明治43(1910)年に、一茶を慕う地元の人々によって建てられた茅葺きの小さなお堂で、格天井には、一茶を慕って訪れた著名な文化人たちの作品が掲げられています。周辺の木立の中には種田山頭火らの句碑もあり、たくさんの著名な人々が一茶のふるさとを訪ねています。俳諧寺の前には一茶の像と「初夢に 古郷を見て 涙かな」が刻まれた句碑が立っています。

お堂の裏手にまわると、父母の命日には墓参りを欠かさなかったという小林家代々の墓もあるので、一茶をめぐる旅にはまずここから始めてみてはどうでしょう。

小丸山公園の東に位置する一茶の菩提寺である「明専寺」には、一茶の銅像のほか、さみしい幼少期を思い起こしてつくった「我と来て 遊べや親の ない雀」の句碑が立ちます。

「是がまあ ついの栖か 雪五尺」 終焉の地は故郷で

「是がまあ ついの栖か 雪五尺」 終焉の地は故郷で

写真:和山 光一

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全国各地を巡り多くの句を残した一茶が終焉の地に選んだのが生まれ故郷の信濃町・柏原でした。文化9(1812)年、50歳の冬、柏原へ戻り、安定した生活を望みましたが文政10(1827)年夏、柏原宿の大火で類焼し、間口3間半、奥行き2間2尺の焼け残った土蔵で暮らし、その半年後の11月19日、65歳の生涯をとじました。

一茶の生家があった場所には、一茶が最後を過ごした土蔵と、一茶の時代を伝える茅葺き屋根の弟宅があり、旧宅は、国史跡に指定されています。「史跡小林一茶宅」には、29歳の14年ぶりに帰郷した際に詠んだ「門の木も 先つつがなし 夕涼」の句碑があります。

また柏原仁之倉に一茶の母の家(宮沢家)跡があり、長男の一茶はここに生まれたと伝えられています。跡地には「ともかくも あなた任せの 年の暮」の句碑が立ちます。

「高井のや 只一本の 花の雲」一茶を学び一茶を楽しむ「一茶ゆかりの里 一茶館」

「高井のや 只一本の 花の雲」一茶を学び一茶を楽しむ「一茶ゆかりの里 一茶館」

写真:和山 光一

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50歳で柏原に戻った一茶は、北信濃で俳諧師として活躍しました。その頃、高山村には「高井野連」という俳句の組織があり、この地の俳人であった久保田春耕から父久保田兎園の離れ家を逗留先として提供された一茶は、以後65歳で亡くなるまで俳諧指導の為、178回も頻繁に高山村を訪れました。高山村の一茶の門人は、久保田春耕、梨本稲長、梨本牧人、中村皐鳥、善哉山士など二十人ぐらいいたそうです。一茶の門人は、経済的に後援者でもあり、一茶はお礼として書や画を贈ったのでしょう。高山村は村の門人の子孫の家に残されていた一茶の遺墨や関連資料の寄託を受けて、平成8年「一茶ゆかりの里 一茶館」を建設しました。

日本芸術院会員、岡田新一設計のゆがんだ階段状の屋根が特徴の本館は、江戸時代寛政期に建てられた「離れ家」と対をなし、一茶の生涯を象徴する建物になっています。「久保田家の離れ家」を始め、数多くの真筆を伝える一茶の博物館に是非来てみて下さい。(入館料500円)

「雪ちるや わきて捨てある 湯のけぶり」湯の町・湯田中の情緒を愛した一茶

「雪ちるや わきて捨てある 湯のけぶり」湯の町・湯田中の情緒を愛した一茶

写真:和山 光一

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小林一茶が江戸への行き来では湯田中から渋峠を越えて上州へ抜ける草津道を利用していたといい、その道中で「湯田中温泉」に入ったといわれています。また湯田中湯本の希杖・基秋親子が一茶の門弟であり、かつ有力な後援者であった関係上、他界するまでの15年間、足繁く湯田中に湯治に訪れていたといわれる一茶。地元の人々が今でも“一茶さん”と親しみを込めて呼ぶここ湯田中にも、一茶を偲ぶゆかりの場所が点在しています。

湯田中温泉は7世紀、天智天皇の時代に僧・智由によって発見されたといわれる長寿の湯として知られています。湯田中駅からかえで通りを歩くとある湯田中温泉の共同浴場・大湯は、かつて共同浴場番付で西の道後、東の湯田中と称される名湯で、この前に「雪ちるや わきて捨てある 湯のけぶり」と一茶が詠んだ句碑があり、一茶も驚いたほどの豊富な湯量で今も変わらず湯煙りをあげています。

そんな湯田中温泉の裏山に、約2KMにおよぶ一茶を偲んでつくられた遊歩道「一茶の散歩道」があります。「三弦の ばちで掃きやる 霰哉」「子どもらが 雪喰いながら 湯治哉」をはじめ、一茶の句がしたためられた25の立て看板が立ち並んでいます。 一茶堂には小林一茶の像が、また散歩道入り口には、本堂に一茶の木造を安置する梅翁寺もあり、一茶に思いを馳せながらのんびり歩けます。

一茶を知り、一茶を偲ぶ北信濃に憩う旅

北信濃の鬱々とする酷寒の冬の暮らしや春を迎えた歓び、四季折々にめぐり来る自然の営みが一茶の俳句に影響を与えたと考えられます。また信濃町柏原は昔からそばの産地でもありました。「そば所 と人はいふ也 赤蜻蛉」「そばの花 咲くや仏と 二人前」「そば時や 月のしなのの 善光寺」など、そばを題材にした名句があるのも、幼少からそばに親しんできた証でしょう。「芭蕉は自然を愛し 一茶は人を愛す」と夏目漱石は言っています。

そんな一茶の故郷で「霧下そば」を食べ、「春風に猿も親子の湯治哉」と詠んだ信州高山村温泉郷の「大湯」に浸かり、『田のくろ石の蔭より、めでたき湯のふくふくと出て、ただいたずらに流れちりぬ。此の村里はさらに湯ともいはざりけり』(田中河原の記)と半ば驚きをもって湯量の多さを一茶が記している「湯田中温泉」に宿泊するのはいかがでしょう。

一茶が歩いた北信濃の道をたどることで、時空を超えて一茶の句がいきいきと語りかけてきてくれるはずです。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/05−2016/03/26 訪問

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