多くの観光客が早朝から訪れる円形競技場「コロッセオ」。地下鉄コロッセオ駅出口から、入場券をもとめる長い行列が見えます。でも心配ご無用!コロッセオを左に見て、「サクラ通り」(写真)から右に折れると、「フォロ・ロマーノ」の入り口です。ここで、コロッセオ、フォロ・ロマーノの共通入場券が12ユーロで買えるのです。コロッセオが長い行列でも、フォロ・ロマーノではスムーズに入場券が購入でき、しかも、2日間有効のありがたいチケット。この入場券があれば、コロッセオで並ばず入場できます。
まずは、行列のコロッセオを横目にフォロ・ロマーノに入場しましょう。ところで、「サクラ通り」は「VIA SACRA」(写真)。VIAは英語では「〜経由」の意味ですが、語源のラテン語では「通り、道路」。「SACRA」は英語で「SACRED(聖なる)」。「サクラ通り」は「聖なる道」です。有名なアッピア街道は「VIA APPIA」です。
写真中央の木立ちの右側の立方体の建物跡、古代ローマ最高神祇官(さいこうじんぎかん)に与えらえた公邸跡。カエサル(紀元前100年〜紀元前44年)は、知略、戦略、大量の金銭を駆使、ライバルも抱え込み、37歳で最高神祇官の選挙に打って出ました。元老院重鎮2名を相手に選挙に勝ち、56歳で暗殺されるまでこの公邸に住み続けます。
長い布を体に巻くように優雅に着るトーガ、最高神祇官立候補者は、選挙当日、白いトーガを着用したそうです。それを「カンデイド」と言い、現在の英語「CANDIDATE」(立候補者)にも引き継がれています。
最高神祇官は、共和制ローマでの宗教儀式を取り仕切る最高責任者で終身職、他の公職との兼任が可能、珍しくたった1名のポジションです。又、ローマ官職で唯一公邸が与えられていました。建物跡が物語るように小さな公邸。しかも、フォロ・ロマーノ中心地にあり、カエサルのその後の政治活動にはもってこいでした。カエサルの深謀遠慮です。カエサルは共和制から実質的な帝政を進めて行きますが、暗殺され、養子アウグストゥス(紀元前63年〜紀元前14年)が引継ぎ、初代皇帝に就きました。
入場した方向へ戻りながら右回りに歩くと、巨大なコロッセオとコンスタンティヌスの凱旋門が見えます。坂道を登り切るとパラティーノの丘です。南側に「チルコ・マッシモ」、北側にはフォロ・ロマーノをそれぞれ見下ろす絶景! パラティーノの丘の西端まで歩くと、カエサルが住んだ最高神祇官公邸を正面に見下ろす展望台。ここからカピトリーノの丘(左手)やコロッセオ(右手:写真)を眺めます。「ティトゥスの凱旋門」の向こうに、コロッセオが巨大な姿を見せています。
コロッセオは、ネロ帝(紀元37年〜紀元68年)が、人工湖を造ろうとした場所に、ヴェスパシアヌス帝(紀元9年〜紀元79年)が建設したものです。ティトゥスの凱旋門は、ヴェスパシアヌス帝の長男でヴェスパシアヌス帝を継いだティトゥス帝(紀元39年〜紀元81年)の「ユダヤ戦争」平定を祝し建ったものです。
パラティーノの丘の下に広がる「チルコ・マッシモ」(大競技場)は、映画「ベン・ハー」のド迫力の戦車競走シーンで有名です。
紀元64年の「ローマの大火」は、チルコ・マッシモの大観客席下の店の一つから出火し、火の粉は、強風にあおられパラティーノの丘を駆け上がり、ローマの街を焼き尽くします。石造りの集合住宅は、床や天井に木材が使われ、密集して建てられていた建物から建物へ延焼。火事は7月の暑い時期に数日間燃え続け、巨大都市に膨れ上がっていた当時の世界の首都ローマは、多くの被災者を出しました。皇帝は26歳のネロ、火事の発生後、急きょ別荘からローマに戻り、次々にあらゆる救済対策を打ちます。ローマ軍による仮設テント、パンテオンなどの被災者への開放、食料の無償配給など。ネロの評判は上がります。
ところが、ローマの再開発を急いだネロを民衆は「土地を入手するために火をつけたのはネロだ!」と言い出したのです。ネロは民衆の怒りの矛先を、「放火犯はキリスト教徒」へと差し向け、キリスト教徒の処刑を実施しました。しかし、残酷な処刑により、ネロの目論見は失敗に終わりました。
そんな歴史を知ってか知らずか、特徴ある形に刈り込まれたローマの松が、雲と呼応し、やわらかい雰囲気を醸し出しています。
フォロ・ロマーノで購入した共通入場券で、コロッセオの長い切符購入の列を回避し入場できます。入場券を求める長い列はコロッセオの外だけでなく、コロッセオ内部まで続きます。コロッセオの人気です。コロッセオはワールドカップ・サッカー決勝スタジアムと同規模、ライオンなど猛獣を地下から引き上げるエレベーター(写真中央デッキの右端)が復元され、剣闘士が戦ったレベル(写真中央の人の高さ)の地下に巨大仕掛けや通路があったことに目を見張ることでしょう。
すり鉢状の円形競技場には、皇帝はじめ5万人ほどのローマ人が集まり、100万人都市となったローマに相応しい設備でした。是非一周して壮大さを実感してみてください。当時のコロッセオには天井部分に現代の屋根付きスタジアム同様に屋根全体を帆で覆うカバーが付いており、驚愕の設備でした。
キリスト教の隆盛により、次々に建設資材として引きはがされ、現在の姿になりました。
コロッセオとフォロ・ロマーノは、ローマ・テルミニ駅から地下鉄B線で2駅目と至近。出口正面にコロッセオがあります。急がば回れでフォロ・ロマーノ散策後、コロッセオに回ると便利です。昼食は、コンスタンティヌスの凱旋門周辺の出前バンが出ているので、よく冷えたパニーニのサンドイッチなどが便利でおススメです。
コロッセオやフォロ・ロマーノの世界遺産の壮大な歴史と絶景を楽しむ旅はいかがでしょう。フォロ・ロマーノは土のグランドなので歩きやすい靴とちょっとだけ歴史を下調べしていくと楽しさが10倍になります。
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(2024/12/14更新)
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